一向聴鳴

一役目

 照明を付けない部屋に浮かび上がる幾つもの光彩パネルが流形線を描いて蠢いている。

 骨董品と云われ久しい扇風機が大して暑くもないのに喧しい音を立てて回る中、男は片目のゴーグルに反射した背景に異変を感じ取った。

「動くな」

 男が動こうかと腰を浮かせた直後耳元で声がした。カチリと軽い音がして男の項に錠前が添えられる。

「電算機体損壊罪で逮捕する」

 笑いを含んだ口調で背後の存在が話す。男は溜息を付いて気怠そうに振り返った。

「4。お前、好い加減普通に入って来いって言ってるだろ」

 バチバチと弾ける音がして迷彩が解除され青年が笑顔を見せた。

「でもさあ、今回は直前まで判らなかったでしょ?」

 

 現代で幅を利かせている企業は、多かれ少なかれハッカーないしクラッカーを抱えている。自社の不利益に繋がる可能性のある芽を法の範囲内で(あるいは、少し逸脱して)摘み取る為だ。面倒そうに溜息を吐いた男、エイト・ブラマもその中の一人だった。

 一製薬(にのまえせいやく)は電脳疾患に対する治療薬を扱う企業である。彼の企業はお抱えハッカーの中でも生え抜き数人を「番号持ち」と呼び、それぞれに数字の愛称を付けて優遇している。エイトは8、訪ねて来た青年は4の番号持ちだ。

 番号持ちを設けた意味は大きく分けて二つある。一つは、番号持ち達のやり取りが外部に漏れた場合を想定した保険。もう一つは、良くも悪くも優秀過ぎる番号持ち同士で情報共有をさせない為。よって、エイトは4の本当の名前を知らない。自身の番号が名前を文字った結果であろうことから、4もそういった意味合いなのだろうと察しは付けている。

 

 

「良い知らせと悪い知らせがあるよ。どっちから聞く?」

 4は部屋の中で最も大きいサーバーの上に座った。彼はエイトよりも少し背が高いが、童顔なので座ってしまうとまるで子供のようだ。

「古典だな。じゃあ悪い方からだ」

「3が死んだらしい」

 まるで大したことの無いような口調で4は言いのけたが、実際それは最悪の事態だった。

「し、死んだあ?」

 思わず頓狂な声を上げてしまう。レンタルサーバー企業を標的に3がルートを解析、4が攪乱しながら侵入経路を確保、エイトがアタッカーとして防壁を突破する。そういう仕事が近日中に控えていた筈だった。

「何で死んだ。次のジョブはどうするんだよ」

 エイトは3の顔を思い浮かべる。凡庸を絵に描いたような中肉中背の男だった。取り留めて面白味のある男ではなかったが、集中力と記憶力が尋常でなかったのをよく覚えている。実際に会話を交わしたのは確か一言二言程度だ。

「多分過労死だと思う、労災に駆け込もうとしてた記録が残ってるし。ほら、3ってさ、本名使って一般企業でも働いてるって前に言ってたじゃないか。

 解析ログはどうだろうなあ。あいつ用心深かったし、自分に万が一のことがあったらデータ消えるように細工してそうだよね」

 困ったねえどうしようかなあとあまり気持ちの籠もっていない言葉が宙に浮く。

 もしログが消えていた場合ジョブ自体の成功確率が絶望的になる。だが4に焦りは見えない。ただ決められたルートを介して破壊し尽くするだけで良いエイトに比べて、侵入経路を取らなくてはならない4には致命的な痛手となる筈だ。なのにこの落ち着き払った態度は何だ。

「…で、良い知らせっつうのは何なんだよ」

「うん。ちょっとこれ見て」

 4は腕のコマンドを叩いて部屋の壁にマッピングした。書類やら金属部品やらが雑然と置かれた部屋が映し出されている。窓の景色が動的に動いているのでリアルタイムの映像だろう。

「何回かは見たことあるよね。これは3の部屋。

 良い知らせっていうのは、今回の件が完全に自然死扱いにされたって事。部屋を引き払う業者が来るまでにはあと数日残ってる。つまり、今は現場に虫を飛ばして覗き放題。ちょろいね」

「あ?用心深いからもう何も無いんじゃねえのかよ」

「さてね。俺達に対する信用が勝って何か残しているかもしれないよ…あ、何だこれ」

 何か見つけたらしい。

 4は身を乗り出してマッピングの端をズームし始めた。柔和な顔付きが一瞬昏く歪む。

「ご覧、ドロイドの脚だ」

 踵に識別コードが打ってある脚が転がっている。脚から上は手前にある書類の山でよく見えない。4はそのコードを即座に読み取り検索を掛けた。ジクジクと回線を読む音が響く。

「駄目だ遅い。8、回線貸して」

 此方が良いと言う前に4はエイトの回線に繋いでコールし始めた。こういう時の4は止めても無駄だと解っているので今更怒りも湧かない。

 手持無沙汰になったのでドロイドの脚を思われる部分を眺めることにした。

 片足だけヒト型でもう片方は改造に見える。左右のバランスが見るからに規定外なので、恐らく不正に改造された物だろう。

 先週寝た女のベッドからはみ出た踵を思い浮かべながら、映像の脚も女性型のドロイドではないかと思った。

「当たりか?」

 投げ出されたドロイドの脚から視線を逸らさずにエイトは訊いた。

 4は此方を見てにやりと笑った。

「良い知らせが凄く良い知らせに昇格しそうだ。とりあえず部屋に向かおう」

 

 

二役目

 水晶体のような中心部から生えた糸のような四肢が音も立てずに壁を這い回る。

 水晶体は360度見渡せる集積機である。一見すると宝石のようにも見えるが、中身は単純な構成のジャンクだ。それは一般的に「虫」と呼ばれ、周囲の映像や電波帯をストリーミングする文字通り目の役割を担っていた。

 4はこの虫を使うことに長けていた。何処だろうと侵入させるし、何だって撮影する。穏やかな表情で陰湿な工作を行う彼の本質と虫はよく合っていた。

 

 四方一里に障害が無い事を確認し、二人は3の自宅内に入った。散乱する技術雑誌や専門書が死んだ埃の匂いを発し、持ち主を失った機器類はひっそりと冷たくただ其処にあった。4は早速怪しそうなデータベースを片っ端から立ち上げ、内容を虱潰しに調べ始めた。エイトは先程自室でモニタした際に見た、女性型と思われるドロイドを探す。リビングと寝室には無い。どうやら一番奥の倉庫にあるようだ。

「…ああん?」

 倉庫はドアノブが少しだけ空いていた。にも関わらず、此方側に開く筈のドアは何かに引っかかってガチャガチャと音を鳴らすだけだった。無駄な力を入れるとドアノブが取れてしまいそうだったのでエイトは渋々4をその場に呼ぶ。

「…本当だ、開かないや。何に引っかかってるんだろう」

 エイトは4の傍らに居た虫をひょいと抓み上げてドアの隙間から投げ入れた。もっと丁重に扱ってよ!と喚く4を宥め、虫の集積機を介してドアの裏側を確認する。

「あ、これさっきの…」

 部屋の中は散乱し切っていていて、件の女性型ドロイドがドアに凭れ掛るようにして座り込んでいた。バッテリー切れを起こしているらしく、此方側から呼びかけても何の反応も無い。

「まあ良いや。ドア壊すぞ」

「ええっ」

 4が制止をかける間も無くエイトは強引にドアを此方側に引いた。蝶番が物凄い音を立てて曲がり、木製のドアはあちこちがささくれる。支えを失ったドロイドの上半身が倒れ、それまではっきりと見えなかった顔が曝け出された。

「…何だよ、これも解析するんじゃねえのか」

 硬直する4にエイトは怪訝な顔をした。

「いや、まあ、そうなんだけど」

 4は結局それ以上何も言い返さなかった。

 ドロイドは仰向けに寝かされた。二人はドロイドを左右から挟むようにして腰を下ろし、4は解析を、エイトはただ黙ってドロイドの顔をじっと眺めていた。

 ドロイドは金髪の細い髪を右側だけ纏め上げていた。薄く目を閉じた瞼が抜けるように白く、人工とはいえ胡粉を塗ったかのような滑らかな肌質だ。

「うーん、ただの愛玩用だね。俺達とは無関係」

「愛玩?セクサロイドか」

「いいや、家事支援っぽい…けど…」

 4は続きを言いかけて猛烈に嫌な予感がした。

 この男は何故そんなことを聞くんだ。ただの冗談か?にしては真顔で聞くのも変だ。そういえばさっきから急に大人しい。

 そんな考えがそのまま顔に書いてあるような気がして、エイトは笑った。彼とエイトとが組んで仕事をした年数はそこそこ長い。既にお互いが考えそうなことなど予想が付く仲だ。

 エイトは笑顔のまま、

「これ可愛いな」

 そう言ってドロイドの肩に手を掛けた。まるで迷いの無い動きに4はぎょっとする。

「おい!持ち帰るのはまずいって」

 ああやっぱりという顔をして4が中腰になった。無関係とは言ったがだからといって好きにして良い訳が無い。こんな馬鹿でかい遺留品、足が付く可能性を考えたら素手で触るのもご法度だ。

 だがエイトだってそんなことは判り切っている。その上で持ち帰る気なのだ。エイトは可愛い物が好きだ。保育器でやっと生きているような乳幼児だろうと臨終秒読みの老人だろうと可愛い物は可愛いし、可愛ければ自分の物にしたい。

「煩えよ馬鹿。この世に俺に関係無い事なんて無えんだよ」

 ということで、自分の目に留まったのが運の尽きだとエイトは思う。ドロイドは修理を入れなくても状態が良さそうだし、既に改造してあることから自分好みに造りかえるのもそう難しくなさそうだった。そういう意味でも手放す気はなかった。

 ああそう、と4は疲れた貌をした。実際疲弊したのだろう、その後は何も言わずに撤退準備を始めた。エイトは電源の入らないドロイドを担いで肚から声を出しながら立ち上がった。

「そのまま外に出たら目立つよ」

「判ってる」

 迷彩を頼む、とエイトは言った。4は心底疲れ切った顔をして「面倒だなあ」と独りごちたが、手はしっかりと迷彩を組み始めた。

「リクエストはございますか?大将殿」

「無えよんなもん」

「…了解」

 4がスイッチを入れると、彼は足元からみるみるうちに子供の姿になった。くりんとした瞳がエイトを見つめる。

「あんたは父親、背負ってるのが娘。俺が息子。良いね」

「判った」

 

 迷彩が周囲に悟られること無く、一向は無事にエイトの部屋まで戻って来た。

 エイトを先導するように歩いていた4は素早くドアを閉め、しっかり施錠して外に手持ちの虫を全て放った。

「はあ疲れた。勘弁してよこういうの」

 破裂音がして4の迷彩が解かれる。エイトはその愚痴を無視し、自身の腰ほどの高さまであるサーバーラックの上にドロイドを降ろした。

「まあそう言うな。これやるから」

 あまり臍を曲げられても困るので、先日の仕事の報酬として受け取った耳当てを手渡した。4はむすっとした顔つきのままそれを受け取る。

「電磁波避けの編み込みが入ってるから干渉を受けにくいんだとさ。俺よりお前の方が使い所あるだろ?」

「…ありがとう」

 結局言い知らせは凄く良い知らせにならなかったなあ。4がぼそりと呟いたが、エイトはそうは思わなかった。このドロイドにはきっと何かある。それは前時代的に言えば”野生の勘”だったし、近代的に言えば”魂の囁き”だった。

 

 耳当ての礼を言って4が帰るのを見送ってから、エイトはラックの上に転がしたドロイドの電源を探し始めた。

 一般的なドロイドの電源は、普段の生活を送る上で触れる可能性が低い所に設ける事が多い。その為、足の付根や恥骨部分のカバーを外した場所等、人間に置き換えたら非常に際どい部分にある確率が圧倒的に高いのだ。

 ということで、エイトはドロイドが着ている服を脱がせにかかった。上記の理由以外に他意は無く、あくまで電源の確認だけのつもりだった。

 が、腰巻のエプロンに手をかけた瞬間それまで大人しく閉じていたドロイドの目が突然開いた。

「(防壁プログラムか!)」

 咄嗟に身を引いたが遅かった。

 モーション無しで勢い良く上半身を起こしたドロイドは、機械的な動きで左手の先からエイトに向かって強烈な電撃を放った。

 痺れ滲んでいく視界の端でドロイドがゆらりと起き上がり、何かを呟いてからまた崩れ落ちた。

 

 

三役目

 冷えた肩で目を覚ました。

 天井が薄昏い。エイトは寝転がったまま手だけを動かした。頭は痛むが神経に損傷は無いようだ。ゆっくり起き上がると居心地の悪い浮遊感が襲った。痺れる、という感覚らしい。

 自分と反対方向に転がっていたドロイドを見て舌打ちが出る。彼女が倒れた方向はラックを纏めるコードの束がひしめいていたエリアだ。何本かは彼女の自重で断線しているかもしれない。後で確認が必要だ。

 最後の防壁でエネルギーを食い潰したのか、ドロイドはぴくりとも動かなかった。エイトは痺れる手を叱咤して彼女の両腕と足首のパーツを外し、それから充電に繋いだ。あの強烈な電撃を二度も受けるのは御免だった。

 ついで、左腕の内側に書かれていた型番を元に検索をかけてみる。どうやらドロイド本体に発電機を埋め込んで電荷を貯めるタイプのようだ。つまり、本体が完全駆動できるパワーが無かった場合でも、この腕だけはある程度動作出来るということである。やはり外しておいて正解だ。

 そこまでやって一息付いて、4に連絡を入れた。

「何かあったの」

「やっぱり良い拾い物だった」

「へえ?どんな感じ?」

 あの時エイトは咄嗟に彼女の腕を両手で握り締めた。耐電仕様のグローブで受け流そうと考えたからだ。にも関わらずあの電圧なのだから、余程伝達効率が良いのだろう。護身用には持ってこいである。

 そのことを伝えたが、4は感心こそすれど喜びはしなかった。電撃が優秀でも今回の仕事には何のメリットはない。彼も自分も、欲しいのは情報だったのだから。

「HD(ハードディスク)は漁ったの?」

「いや、まだだ。充電中」

 ドロイドタイプに限らず電子機器全般に言えることだが、ある一定量の充電が完了しないと再起動は出来ない。OSを稼働するのに最低限の電荷が必要だからだ。頭や胸の辺りで耳をすませたが、まだ中のディスクが回っている気配は無い。恐らくまだ時間がかかるだろう。

 再起動するまでの間、エイトは彼女の下敷きになっていた配線のチェックを行った。幸い重要なサーバー系統は無事だったが、その周りで回っていたファンは使い物にならなさそうだ。内心苛ついたが、ドロイドの充電完了を示す瞳のランプが灯ったことに気付きそれも吹き飛んだ。

 

 

 

 

「正解だったな」

 

 電源を入れた瞬間、彼女は此方に向かって飛びかかろうとしてきた。しかし強化ワイヤーで固定された胴が途中で突っ張って動きが止まる。電撃を放った腕は取り外しておいたままだ。少し遅れてから音声が起動する。

「本機体に関する権限がありません」

「だろうな」

「特定電算機体窃盗、不正コード侵入、器物損壊により権限はロックされました」

「器物損壊はお前だろうが。良いからトークンを教えろ」

「本機体に関する権限がありません」

 融通の効くタイプではないようだ。

 乗り気はしなかったが仕方がない。彼女の項の横に設置されていたハブとエイトの端末を直接繋ぎ、侵入を開始した。

 3の本名はサトウというらしく、ユーザ名がそのままSatohとなっていた。OSのコード名はVIMA。聞き覚えのない響きから、サトウが自分で付けた物かと思われた。

「VIMA…ヴィマ……何処かで…」

 暫し考え込み、珈琲を一口飲み、思い出す。ヴィマニカ・シャストラだ。

 古代インド帝国の古典にしばしば登場していた架空の乗り物・ヴィマナ。空中から世界を自在に飛び回ることが出来るこの飛行物体は、32の秘密を知るパイロット達のみが操縦を許された。

 身内の好事家が初めて役に立った瞬間であった。

「諦めろ。アシュヴィンはもう死んだ」

 言語野まで侵入されたヴィマは言葉を発しなくなったが内部での抵抗は止めなかった。片っ端から内部領域を暗号化しながらパターンファイルを複製し、エイトの操作を妨害した。だが、彼女は現在スタンドアロンの状態だ。外部との通信も無しにドロイドがハッカーの侵入に勝てる道理は無い。

 さあ、秘密とやらを見せて貰おうか。

 最後のロックを解除し、ヴィマのドライブの閲覧権限を全て解放した。開け放ったディスクの内部は既に容量ぎりぎりまでデータが入っている。

「あん?何だこれ」

 最も容量が大きかったのは一つのファイルだった。拡張子からすると実行存在のようだが、起動させると認証不可で落ちてしまう。

「おいヴィマ、これは何だ?これもサトウが入れたのか」

「………。」

「おいコラ。今すぐ記憶領域焼かれてえのか」

「このファイルを起動する為にはサトウの生体認証が必要です」

「他に方法は」

「ありません。生体認証が必要です」

 舌打ち。死体からは生体認証は不可能だろう。

 暗澹たる思いで判る範囲での情報を収集した。ファイル名は「3-10」。サイズは簡易OS一個分もあろうかという巨きさ。作成日は古いが、更新日はサトウが死ぬ2日前になっていた。明らかに怪しい。

 もう一度4に連絡を入れると今度は飛んできた。

「解析っ!」

「おう」

 それ以上の会話は惜しいと言わんばかりに4は持って来た機材を広げ出した。ヴィマは再び「権限が」とお決まりのメッセージを吐いたが、4の上擦った声に掻き消された。

「うわーでかいねこれ。実行…えっ、容量の半分以上がこれじゃないか!何だこれ!」

 もう誰の声も聞こえていない。こうなると4はヒトの言葉を受け付けなくなるので、横文字の独り言が止むまでエイトはヴィマの近くに歩み寄った。

「拘束の解除を求めます」

 ヴィマも流石に諦めたのか力を抜いていた。その様子はフェイクには見えなかったし、重要な配線がボディから出ている以上変に暴れることもないだろう。そう思ってエイトは拘束を解いた。

「ほらよ。悪かったな」

 素手でワイヤーの結び目を解いたのによっぽど驚いたらしく、ヴィマは暫くエイトの腕とワイヤーとを交互に見つめていた。

「貴方はサイボーグですか」

「いや生身だ。お前の元飼い主の友人でもある」

「サトウは何処ですか」

「あ?」

 聞くと、サトウは自分が死ぬ前にヴィマの電源を強制的に落としていたようだ。

「ヴィマ、アイツの最後の言葉は何だった」

「………。」

「何だ。早く言え」

「…他言無用、と」

 エイトは首を捻る。サトウが本当に自然死だったとしたらこれは少々おかしい。まるで自らの死期を悟っていたかのようではないか。

 

「カウントし続けているね」

「何を」

「んー…何か?」

 結局解析でも詳しいことは判らなかったらしい。

 だがサトウが作った何らかの処理であることは間違いなく、加えて外部から見える場所で数値型のカウントを行っていた。このことから、カウント数がある一定の値に達すると自動的に起動する可能性があるという。

「どう考えても”置き土産”だろうな…ワクワクしてきたよ。Xデーにはこれも連れて行こう」

 同感だった。

 死の前の言動。電撃による物理的なガード。莫大なサイズの実行存在と内部のカウント。点在するピースが宙に浮かんだまま、それらが収まる為の枠はまだ見つからない。

 

 侵入予定日はあと5日に迫っていた。

 

 

四役目

 最早何に使われていたのかすら知る者が誰一人居ないような、そんな廃墟を子供は根城にしていた。

 両親も、親族も、兄弟すら、子供に口出しする人間は無かった。それは子供が有無を言わさぬ絶対的な権限を持つが故ではなく、寧ろその逆で、真の意味で無関心を貫かれていたことに依る。子供はこの何時崩れてもおかしくない廃墟の中で独り、朽ちた木を愛で、棲み着いていた生き物を愛で、不法投棄されていた機器をそれなりに使える程度に組み直し遊んでいた。

 周囲の無関心が為に、その遊びがとうに遊びの域を超えた領分にまで達していることに子供自身すら気付いていなかった。

 少し顔を傾けないと文字が見えないディスプレイが明滅し、数時間前に届いた電文を映す。

 

『Xデーは来た。

 まず、今一度感謝を伝えたい。僕一人では到底成し得なかったことだ。まさか君のような人間が協力してくれるとは夢にも思わなかった。…否、正直な話今でも夢なんじゃないかと思う時がある。無論これは君を信用していないという意味では無い。

 君の冒す危険はそう多くない。だがそれ故に、一つ間違えると一気に追い詰められることになるだろう。疾さだけが君の最高にして唯一の味方になる。騙し、掻き乱し、撹乱しろ。指揮系統に立ち直る時間を与えるな。

 君にとっては一寸とした火遊びかもしれないが、僕と仲間達にとっては今後を大きく変える仕事だ。確実に遂行して欲しい。健闘を祈る』

 通信が途切れた。

 子供は知っている。これを送って来た人間は既にこの世には居ない。自信が信頼する筋からも、公共の電波からも既にそれを聞いていた。此処から少し離れた区域に住んでいた独身男性の孤独死。周辺の治安の悪さから当初は司直の手も入ったが、現在は自然死だということで片が付いていた。そういう事になっている。

 「そういう事」ではない事情を知っている人間は果たして何人居るのやら。と子供は考える。同時に、詮無きことだとその思考を止めた。身内の恥の為に人が死んだ。その尻拭い…或いは罪滅ぼしの為に…自分は動いている。やらかした本人達の意思を無視して。それだけだ。無駄な感傷は時間も精神も無駄に摩耗させるだけだろう。

 

 さて、子供は立ち上がって準備を始めた。一寸とした火遊びに向かう為に。

 

 

 

 

 

「何だったんだ?」

 少し前、ヴィマのOSが突然数分間停止した。

 充電は十分だった。熱暴走も無い。周辺機器とのショートも考えられない。そんな状況下でヴィマは突然ぷつりと首を項垂れたのだ。座らせていたので前回のような大惨事だけは免れた。

 ヴィマを解析したあの日から、4はエイトの部屋に泊まり込みで最終調整を行っていた。サーバー室に到達する為には少なくとも二桁のセキュリティを突破する必要があった。4はマッピングの作り込み、エイトはその横で装備の充電とヴィマを連れて行く為の改造を行っていた。

 あと40秒待って動きが無かったら中を開けようと考えていた時、自発的に再起動し始めた。

「おい、どうした。大丈夫か」

「聞いてる暇があったらログでも見た方が早いんじゃない?」

 自身の端末から視線を外さずに4が茶化す。それを一睨みしてからエイトはヴィマに向き直った。ドロイドの口で説明出来ることが起こったのか、そうでなかったのか。それを確認する為に口頭で直接聞いただけだ。4だってその位のことは分かっているだろうに。

「…判りません。何か…通信?でもログが…不明の…」

 言語野が呆けているのか、必死にログを漁っているのか、ヴィマの返答は覚束無いものだった。

「もう良い。さっきの続きから再開だ」

 その遣り取りに4が怪訝な顔をして端末から顔を上げた。

「ログを吐いてないのに通信を行った。そう聞こえたけど」

 それ以上の言葉は自分達のような職種には必要無いだろう。

 トロイの木馬。それ以外考え難い。

 普段は他の機能を持つ実行存在かのような振る舞いをしておいて、時が来ると環境に対して致命的なクラッシュを仕掛ける。それがトロイの木馬の正体だ。現在から何世代遡ってもまだ足りないような遥か昔から使われている用語であるから、この言葉を知らないで業界人と名乗るのは最早自らの無知をひけらかすに等しい。

「やっぱりやばいんじゃない?例の3-10」

「かもな」

「かもなって…」

「サトウは自分の死後に対して何らかの手を打ってる。それが3-10だとしたら?」

 現状持ち合わせているパズルのピースを全て使うと、その線が最も濃厚だとエイトは考えていた。でないと死の間際の行動の辻褄が合わない。

 家事支援型のドロイドは、通常常時起動していることが前提となっていることが多い。そうしていれば、利用者の身体に異常が発生した場合、医療機関への連絡をする役割を担えるからだ。その電源を落として、しかも見た目からでは到底家事支援とは思えないような改造を施し、建付けの悪い部屋に置いていた。これは保護だ。自分の死後、あの部屋から即座に外に持ち出されない為の。

「こういうのはどうだ。奴は今回のジョブに関する『何か』に気付いた。俺達にも一製薬側にも悟られないように時が来たら起動する実行存在を作り、普段から使っているドロイドに仕込んだ。そして死んだ」

「その言い方だと俺達にヴィマを拾わせたって聞こえるんだけど」

「そう言ってるんだよ。4、お前、初めてコイツの手足を見た時どう感じた?俺はこうだ。『外装が無いパーツが残っているなんて、未だ造りかけなんじゃないか』。万が一俺達以外の人間が見たとしてもそう思われて、電源が落ちてることも確認されて…するとどうなる?放置されるだろ。それよりも故人が倒れていた範囲内の物的資料を集めることの方が先決だ。違うか?

 俺達が侵入するのも読んでいた。だからあそこに置いた。俺の力ならこじ開けられるからな。自作OSにしてもコイツの言語野は貧弱過ぎる。削ったんだ。3-10を入れる為に。見た目で判断出来なくても、それなりに会話を交わせば俺達なら言語野の調整が入っていることに気付く。異変に気付いたらお前が嬉々として解析する」

「よく喋るねえそんなにこのドロイドが気に入ったかい」

「当然だ。何たって可愛いからな」

「…………はーっ…」

 4はぽかんと口を開けてエイトの長舌に聞き入っていたが、エイトとヴィマを交互に見返して、結局最後には大きな溜息を吐いた。全身の力を抜き座り直すと、エイトに向かって指折り投げかけた。

「三つ質問がある。

 一つ目。逆の可能性も考えられる。サトウが対外企業に寝返っていた場合、3-10は俺達に牙を剥く存在になる。もしもそうだったらどう対処するつもり?

 二つ目。一製薬とサトウが俺達二人だけを嵌めようとしているとしたら?

 三つ目。苦労をかけて現場に持ち込んだが、結局実は3-10が今回のジョブに全く関係の無い実行存在だったとしたら?」

「何だそんなことか」

 エイトは思わず笑ってしまった。笑いながらヴィマの肩を引き寄せ言った。

「決まってんだろ。答えは全部『ぶっ飛ばす』だ」

 黙りこくった4の表情は読めない。…が、次第に緊張感のある表情が崩れていった。

「…敗けました」

「参ったか」

 こうして二人は最終調整を再開した。ヴィマだけが状況を呑み込めず、くたりと首を傾げながら。

 

 

五役目

「なんでスカート?」

 挨拶も無しにこれだからこいつは女と縁が無いのだ、と、エイトは思う。

 

 ヴィマの脚部を換装した。

 そのまま街を歩かせるには余りに目立つので、踵まである長い物を履かせたのだ。

「ポイントに到達すれば分かる」

「ふうん。まあいいや、中身を弄ってないなら」

 炭酸の気が抜けたような返事を皮切りに、二人と一体は押し黙ったまま朱い街灯が喧しい街を練り歩いた。暇なのではない。こうして街を歩く行為そのものが提示された第一フェーズの内容なのだ。

「しかし、この行動の意味は何だろうねえ。隠密にしちゃあ迂闊過ぎるというか、何というか」

 4がぼやくのも無理ない話だった。朱の街灯が踊る街、つまる所、此処は色街である。

「理由を考えるなっていうのは軍において一番最初に叩き込まれる概念だぜ。自身で考える力を奪う=命令遂行を速やかに実行する推進力、だろ」

「それって必要知のこと言ってる?この仕事において自分で物考えられないようではやっていけないし、俺達は別に軍部の人間じゃないじゃん」

「大企業は往々にして軍隊式の縮図そのものだろ」

「…8でもそんな哲学的なこと考えるんだねえ」

 眼鏡割るぞ、と言うとこれはゴーグル、と訂正された。4はこういう所で変に細かい。

 下らない会話をしている内に、いつの間にか時計は次のフェーズへ移行する時を刻んでいた。

 

 

 

 色街から抜けて、入り組んだ路地を突き進む。

 今の所障害は無い。今日の為に4が排除したのか、初めから障害の無い順路を探し当てていたのか。

 ヴィマのスカートは、この薄暗い路地に入った後に彼女自身によって膝から下が焼き払われていた。

 薄布が取り払われたそこは逆関節の推進機構が連結されている。接地面は僅かに地表から浮いていて、基底部の加熱ユニットと踵部分からの冷却放射ユニットが付属されている。ヴィマは左右に比重を移動することによって滑るように二人の後ろに付いて来ていた。

「ヴィマ、ユニットに異常は無いか」

「加熱シークエンス問題ありません。冷却速度との誤差は適用範囲内です」

「よし」

 拾ったままの改造状態では、速度を維持したままの中距離移動が不可能だった。かといって、移動用のアプリケーションを組み込む容量は彼女には無い。結果考案されたのがこれだ。

 家事支援型なので、元々道具を扱うことには長けている。ユニットの簡易マニュアルをインストールした代わりに、現在の彼女は掃除機が使えなくなっていた。

「静かだな」

「忌み地だからね」

 この通路は大戦で使われていた地下シェルター同士を繋いでいた道らしい。なるほど人が寄り付かない訳である。

 

 黎明期の電脳システムには欠陥が多く、全ての人体と適合出来る性能ではなかった。

 電脳化した者、そうでない者が二極化し、亜細亜全域で内紛が頻発。弱体化した国勢を立て直す余裕はどの国にも無く、結果、複数の国が合併と分離を繰り返した。事態を重く見た電脳開発企業と医療団は文字通りの血の滲む努力を続け、現在は全国民に対して出生と共に電脳化を義務付けるまでになっている。

 その大混乱の最中に造り出されたのがシェルターだ。非核と言いつつ自国の装備を捨てない欺瞞に満ち満ちた情勢の中、各国が挙ってこのような施設を建造したのは詮無きことだったのだろう。

 最も、そんな混乱の時代より以降にエイトも4も生まれているので、又聞きの情報でしかないが。

 

 結局何の妨害も無しに目的地へと辿り着いた。

 レンタルサーバー企業「泰全電訊(たいぜんでんしん)」は新興企業で、主に富裕層の個人情報を取り扱っている。サーバー棟の近くに植樹林の区画があり、シェルター通路の出入口はそこに繋がっていた。4が早速腕のコマンドを叩いている。

「210秒後に警備の交代がある。監視カメラを一瞬だけ差し替えるから、その間に建屋に侵入しよう。あ、床の熱感知は無いからドロイドも一緒に入って大丈夫」

「了解」

 特に息を殺す必要は無いのだが、自然とそうなっていった。カウントが始まり、ヴィマを静音に切り替える。5,4,3,2,1…後はもう、手慣れたものだ。手早く侵入した二人は出入口にヴィマを待機させ、障害が残っていないか隅までスキャンした。

「…クリア!そっちは」

「クリア。小休止だな」

 本当に一息つく訳ではない。が、精神的にはティーブレイクのような気分になった。後はやることをやって帰るだけだ。

 待機させていたヴィマを呼び戻した。

「で、ここから先はどうするんだ。少なくとも俺は何も聞いてないぞ」

「ええと、とりあえず現場に着いたらまた指示が来るって手筈だったんだけど」

 瞬間、どこからか着信音が鳴り響いた。

 思わず互いを背にしてスキャナを構える。人は居ない。ついさっき確認し終わった筈だ。ではこれは何なのか。

 無言のまま、エイトはスキャナのモードを切り替えた。熱感知から電波強度へと。明滅する一点を発見し、警戒しながら近づいた先には無線機があった。

「こいつが"次の指示"ってやつか?」

 スキャナ越しに視ると、サーバーラックに取り付けられていた小さな機体が定周期に電磁波を出していた。

 人の声が漏れているということだけは分かったが、大き過ぎた着信音に対して受信音は小さかった。音量を調節する鈕があったので回していくと、ぼそぼそと聞き取れない人の声が次第に大きくなっていく。

 

 

…ダ…ブン…シテ…イズ…ヘト…ル…

ソ…サン…ソ…サン…

シ…イ……リシテ…イ…コ……サル…

ソモサン…ソモ………

…………シ…

シダイブンリシテイズコヘトサル…

ソモサン…ソモサン…

 

シダイブン…シテイズヘトサル…

サン…ソモサン…

 

シダイブンリシテイズコヘトサル…

ソモサン……

 

 

『いずこへも』

 穏やかなテノールの呼応。

 

 考えるよりも先に体が動いた。振り向き様に電磁波を一発、間髪入れずにもう一発。

 そこら中に堆積していた埃が反応してぶわりと煙を巻き、その向こうの人影を暈す。

「8!何してるっ」

「来るな、動かないでそこに居ろ」

「落ち着けって!何でドロイドを撃ってる!?」

 煙が晴れた先にはヴィマしか居なかった。

「認証しました、起動します」

 エイトが駆け寄る間もなくヴィマが崩れ落ちた。再起動(リブート)だ。

 先程の音声が3-10の生体認証…否、"声帯認証"だったのか。冷静に判断する頭と、焦って動き出す体とがちぐはぐだった。

 4が投げて寄越したケーブルをすかさずヴィマの項に差し込むが、起動プロセスをモニタできない。スキャナ越しに、ヴィマのOS中枢が微弱な電波を放つのだけが確認できた。薄く膨大に広がっていく波形は通常のパターンではない。

「モニタ出来ねえ。電波もおかしい。何だこれは」

「俺に聞かないでよ。何か起こるとは思ってたけど、外にバレるような事が起こるのは勘弁してくれよ?」

「それこそ俺に言うなっつーの」

 あれは男の声じゃなかったか。

 だが、敢えて口には出さずにじっと待っていた。彼のやろうとしていたこと、自分達がこれからやろうとすることの意味が、分かってしまったような気がして。

 

 

「起動完了しました」

 

 

六役目

 次に目を開けた時、彼女はもう違うものだった。

『はあ。撃たれた時はどうなるかと思ったよ』

「ぶっ飛ばすぞてめえ」

『ふふ、もう死ねないよ』

 薄く目を閉じ、低い声でヴィマは微笑う。それはサトウと全く同じ表情をしていた。

「これは凄いな」

 4の手がひくりと動いた。解析したくて仕方が無い筈だ。だが、この状況でそうも言っていられない事は彼だって分かっているだろう。

 もう間違い無い。ヴィマの半分以上を食い潰していたのはサトウのAIだった。

『薄々気付いていると思うけど、僕は殺された。これが起動したのがその証拠と受け取って欲しい。

 今回のジョブの依頼元も一製薬ではない。いや、ある意味ではそうと言っても嘘ではないが…』

「もう良いだろ。はっきり言えよ」

 悪態をつきながら、エイトはこんな状況で、「ああ、あの朴念仁は本当に死んだんだな」と今更実感が湧いた。湧いた所で泣く程懇意にしていた訳でも無いが。

『本人から直接話してもらおう』

 本人?

 エイトの横に立ててあったサーバーが内側から吹き飛んだ。もう驚く暇すらない。

 子供だ。一体いつから隠れていたのか。スキャンで感知出来なかったということは、中に入ったままサーバーを稼働させて電磁波でカモフラージュしていたのだろう。案の定全身が埃と静電気で凄いことになっている。それらを全く気にしないまま、子供はヴィマの横に座った。切り揃えた髪も、そこから覗く瞳も黒い。

『紹介しよう。今回の依頼人であり、一製薬現社長の一人娘だ』

「娘だって?」

 4が頓狂な声を上げた。

 顔にこそ出さなかったが、エイトも少なからず驚いた。ハッカー部隊とはいえ自社の社長だ。人となりは嫌でも耳に入って来る。

 公式発表では、一製薬現社長・一連(にのまえれん)には一粒種のサラブレッドが居ることになっている。社長の眼差しを受け継いだ、人好きのする柔和な顔立ちの青年だ。メディアにも少なからず出ている。

「公式では、そういうことになっている、というだけだ」

 見た目にそぐわず意外と落ち着いた声で子供が返答した。

「此処は、私の墓だ」

 出生記録から現在まで、彼女の情報は全てこの建屋内のサーバーに集結しているらしい。

『依頼内容は実にシンプル。この建屋内のサーバーの情報を隅から隅まで、全て抹消する』

「何故…は、聞かない方がいいのかな」

 幾分か優しげなトーンで4が問うと、子供は4をじろりと見据えた。だが、それもすぐ終わり俯く。

「…居ないことになっているなら、本当に居なくなった方が良い」

 ここでエイトは少し迷った。

 反抗は、突き詰めていくと愛着の裏返しだ。そうして突っぱね続けて取り返しが付かなくなった時、やり直すチャンスを与えられない子供がどうなっていくのか。その結末をエイトは嫌というほど知っていた。

「ガキ。お前、言ってる意味が本当に解ってるのか」

「ああ」

「この先何があってもお前の帰る家は無いんだぞ」

「問題ない」

「家族が嫌いか?」

 子供は少し考え、此方を真っ直ぐに見た。

「母は私を産んですぐに死んだ。私が此処に来るのを引き止めた母方の祖父母はあれに殺された。私はあれを…あれは、もう人ではない」

 もう人じゃない。

 再度諦めるように言って、また目を伏せた。

「…分かったよ、仕方ねえな」

「感謝する」

 4はそれまでのやり取りを黙って聞いていたが、やがて観念したように頷いた。

『では始めよう』

 にっこり笑ったヴィマ――サトウが、立ち上がって天井のブレーカーに強烈な電撃を放った。

『あれはこの一帯のメインバッテリーだよ。この施設と周辺は電源が落ちると自動的にシャッターが降りるから、数時間は此処に誰も辿り着けない。有線して中のデータを消すなり、物理的に粉微塵にするなり、やりたい放題さ』

「…サトウさあ、死んでから性格変わった?」

『死んだらやってみたいことって、誰にでもあるだろう。生きている内は色々あるものさ、柵とか色々ね』

 

 

 

 明朝、最後のお見舞いとばかりにサトウが放った電撃で建屋が爆発した。

 子供はそれを見て甚く満足し、「憑き物が落ちた」と言いながら姿を消した。報酬は一週間以内に振り込むそうだ。

『私の取り分は既に二人に分配してある。冥銭にしては値が大きすぎるからね』

「言われなくてもそうするぜ。…ところで、"お前"はこの後どうなるんだ」

『心配要らない。残らず消えるさ』

「一寸待って」

 4が遮った。

「もう聞いても良いよね。君は今どういう状態なんだ?単純に君の生前の思考ロジックを受け継いだAIにしては反応が滑らか過ぎる。ラグも無い。ヴィマの言語野を削っていたにせよ、あの容量で実現出来たとは到底思えない」

『ううん、どうしようかな』

 悪戯でも思いついたような顔でサトウは視線を宙に預けた。ヴィマの表情筋は思ったより目まぐるしく動くらしい。これまでは使われていなかっただけだったのだ。

『時間が無いからヒントをあげよう。3-10はミートと読む。「meet」…つまり出会いだ。どれもこれも僕一人では成し得なかった。僕の死さえも。

 死にたがってた訳じゃないけど、今とても晴れやかな気分なんだ。利害が一致する相手にずっと逢いたかったから』

「あのガキの仕業か」

『彼女の才がこの先潰えないことを切に願うよ。さて時間だ』

 サトウはその場に座った。満足の行く答えが得られなかった4は不貞腐れる。

「何だよ。教えてくれないのかよ」

『後は自分で探し当てると良い。目的のある生は幸福だ』

「お前には目的が無かったのか?」

 薄く目を閉じてサトウは手を前に組んだ。何処かで見たことのある体勢だったが、エイトにはそれがどこで見た光景だったか思い出せなかった。

『手段を…目的と履き違えるのは不幸だ…行き着く先には……やかな死しが…ハハ…これは眠いな…参った参った…』

 そうして、サトウは本当に死んだ。

 

 

役満

 あれから、4はエイトの部屋に持ち帰ったヴィマを血眼で解析した。

 しかし、どこをどう探っても3-10の痕跡は見つからず、初めから自己破壊プログラム込みで組まれていたことが明らかになっただけで、そこから先は一切が闇の中だ。

 4は何故だ何故だ気持ち悪いと散々むくれたが、飯を食わせ、菓子を食わせ、適当に寝かせたらけろりと諦めた。

「やっぱりあの子を探して直接聞いた方がいいね、うん」

 4日目。朝っぱらから甘い点心を頬張りながら4は、そういった旨の結論を出した。

 その甘ったるい匂いだけで食欲が失せたエイトは、漸く諦めてくれた4からヴィマを引剥返し、報酬を確かめることにした。

 そう、エイトは報酬として金は受け取らない。サトウは抜け目無くあの子供に伝えていたらしく、昨日、郵便受けに小振りなインストールパッケージが届いていた。4とあれこれ議論して、恐らくヴィマに使うものではないかという結論を出した。

 サトウが"居なくなって"以前のように反応が鈍くなったヴィマを膝に乗せる。大分重いが、可愛いので仕方ない犠牲だ。項にパッケージを接続すると、あの子供の声がした。

「金銭は困ると連絡を受けていたので、こういう物にしてみた。君はどうも子供っぽいような気がするから、このドロイドと一緒に、学んでいくことも必要だと思う。きっと気に入る。ではまた」

 目の前に居たのがヴィマでなかったら壊していたかもしれない。

 ガキにガキと言われた。死ぬほど腹が立つ。4が腹を抱えて笑っているのも腹立たしい。しかしインストール開始を宣言したヴィマを膝の上から動かす訳にはいかない。そして重い。

「インストールが完了しました。パッケージを外してください」

 特に変わった所は見られない。空き容量もそこまで減っていないようだ。

「それって、学習プログラムじゃないの?」

 漸く笑いが収まった4が言う。

 学習プログラムか。確かに、半分以上メモリに空きがあるヴィマには順当だ。パッケージ冒頭のメッセージとも辻褄が合う。腹立たしいが。

「ふうん。4、お前何かこいつに教えてみろ」

「い、いきなりそんなこと言われても…」

 数日間考え続けた頭は回転が遅いのだろう。うんうん唸って、やっと思いついたらしい。

「ヴィマ、俺の名前はなあに?」

「よん」

「そうそう。でもね、俺の本当の名前はスーヨンって言うんだ。スーヨン。言ってご覧」

「すーよん」

「もう一度聞くよ。俺は誰?」

「……すーよん」

「よしよし、いい子」

 犬でも構うような顔で4はヴィマの頭を撫でた。先刻の子供も苛ついたが、何となく今の4の方が腹が立ったような気がした。

「ほら、覚えたでしょ?」

「スーヨンというのは本名か」

「んな訳無いじゃん、今思いついたんだよ」

「息するように嘘吐いてんじゃねえよタコ」

 猛烈に4を殴りたくなった。

 

 

「じゃあそろそろ行くね。あと、もう此処には来ないと思う。一製薬も辞める」

「そうか」

「偉くあっさり言うなあ。まあ今生の別れって程でもないけどさ、もう少し寂しいヨーっていうポーズとかさあ、無いの?」

「お前、俺が本気でそれやってる姿を一度考えてから言ってみろ」

「…うわ…やっぱり今の無しで」

 一製薬から手を引く考えはエイトも同感だった。数日経った今も自分達に司直の手が及ばないことから、あの子供が上手くやっている事は容易に知れた。それでも、もうあの組織に居座り続ける気は起きなかった。

「辞表の中身は"同僚が死んだ悲しみから"ってか?」

「気持ち悪いからやめろ」

「だよねえ。…じゃあね」

「ああ」

 背を向けた4に向かって、エイトは初めて自分の本名を教えた。

 どうせ偽名だろと4が言ったので、エイトはそうだ、と返してやった。それきり、誰も何も言わなかった。