(前半戦)
最初の3日で体力に限界が来た。
体力、というより睡眠か。とにかく寝れない。娘の寝付きが悪いというより、単純に仕事から帰ってきた後にこなさないといけない家事が終わらない。
学校の昼休み中に本気で寝かけたのを切欠に友人の召喚を心に決めた。
「という訳でエマさんが出張に行っちゃったんだけど、暫く俺の家に泊まらない?」
「…雄大と…生活?期間は?」
「一ヶ月~」
「秒で行くわ」
この物分りの良さである。
武藤愛也という。高校時代からの付き合いなのでもう十年にもなるが、基本的に即OKを出してくれる。最近は何時かまとめて負債を請求されたらどうしようと偶に恐怖を感じる。
その日の夕方、食材を片手に本当にやってきた。
「おうじ!」
娘はいつの間にか愛也に懐いてしまった。何故か王子と呼んでいる。だがあまり心配はしていない。
「はあ!?なんでこいつ残ってるんだよ!普通母親が連れて行くだろ!」
愛也の方がどうやら子供が苦手らしいのだ。娘がこんなに可愛く愛想を振りまいて纏わりついているにも関わらず全く嬉しくないらしい。
「ああそういう訳ね。で面倒見ろって押し付けてあの女は仕事ってか。良い身分だぜ全く。お前なんとも思わねえの?」
「いやあ仕方ないでしょ。そういう時もあるよ」
ついでにエマのことはもっと嫌いらしい。これに関してはエマも同様で、二人の仲はかなり険悪だ。
「おうじかみやって」
冷蔵庫に食材をしまおうとする愛也の足元で娘がぽんぽん跳ねる。一緒に揺れるツインテールは朝三村が結ったものだが、緩かったのか左右で高さが変わり始めている。誰に似たのかふわふわかつ猫毛なものだから髪が指先から逃げるのだ。それに元よりああいったものは苦手だ。
「あーうるさいほんと無理。雄大これ剥がして」
戻ってくる愛也の片足にくっついた娘はそのまま愛也と一緒に近づいてくる。これがさらっと出来る愛也の脚力は何気に凄い。流石に十年立ち仕事を続けているだけある。
「や。おうじかみやって」
「うるせ~~…あ、でも確かにこれは直した方が良いな。傷みそう」
ぱっと表情が変わる。職業柄放っておけないようで、足に娘を付けたまま洗面所に進路を変えた。
ちなみに、この間三村は二人を見物しながら延々と洗濯物を処理していた。防犯上干したままにするわけにもいかないので帰ってきたら即行回す。娘も娘で汗をかくので帰宅後に一回着替えさせる。この時期の子供の洗濯物は戦争だ。
しかし、こうやって畳まれる洗濯物の量と大きさがだんだん多く大きくなっていく度に娘の成長を実感する。早いものだ。最初は潰しそうで正直触れなかったが、今は加減も分かり娘も丈夫になってきてそういったことも無い。
というか、娘は丈夫になりすぎている気がする。同年代の他の子より身長は高いし、走らせても重いものを持たせても上から数えた方が早い。エマ曰く『血ですね』らしい。強い。そして何より可愛い。将来が楽しみなような心配なような。
そうこうしている間に逆の足に娘を付けた愛也が戻ってきた。
「ぱぱ!おうじすごい!」
「いい加減離れろっ」
べりっと音が聞こえてきそうな勢いで剥がされても、娘はきゃあと叫んで嬉しそうだ。
みてみてしてくるので一旦手を止めて膝に乗せる。流石に本職だ。きっちりまとまった上にリボンが編み込んである。
「ううん…これは世界遺産だな…」
「なにそれ」
「世界一かわいいって意味だよ」
「しってる!ありがと!」
エマによく似た硝子玉のような瞳がくるくると表情を変える。
「悪い。ありがと」
「あとは何かある?」
「いやあ流石に悪いよ。ゆっくりしてて。ごはん作るよ~」
「はあい」
最近の娘はお手伝いを覚え始めたので、特に何かやらせなくても一応声を掛ける(初日に黙って作り始めていたら怒られた)。丸めたら片手の中に収まるような小さいエプロンを付けると自主的に踏み台を持ってきた。今日は何を作ろうか。