ウーヌス・ムンドゥスに接ぐ

(セーラーエマさん侵入篇)

 

『来ちゃった』

 

 くすぐるように笑う少女を見て深い深い溜め息を吐いた。

 CR(カウンセリングルーム)を開けようとしたところ、ミルクティー色の頭が中から飛び出してきた。昨夜間違いなく施錠した筈だったのに一体何処から侵入したのか。そして、その光景を見た何人かの生徒が面白そうに走り去っていく。妙な噂が広まり兼ねないので後で追いかけなければならない。

 それはそうと目の前の少女である。このまま外に放り出したいのは山々だが、更にややこしいことになりそうな予感がしたので、部屋内に押し返して後ろ手に鍵をかけた。

「何しに来たの」

『特に何も』

 少女は―エマは、そう言うとさっさとソファに寝転がった。あなたの匂いがする、という細い声が二人きりの部屋に響く。

 

 端的に言うと、エマと自分の関係は死体処理業者とその依頼人である。

 といってもエマはまだ19歳で、自分から見たら受け持ちの学生と殆ど変わらない。仕事の手際は実に良いのでその点に関しては絶大な信頼を置いているが、こうして時折意味の分からない言動を取ってくることがある。

「未払いは無い筈だけど」

 当たり障りのないことを言ってみるがどうせ彼女の目的はそんなものではないだろう。もっとややこしく、かつ碌でもないことを考えているに違いない。

 …でなければ、学生でもない癖にセーラー服を着て来る理由が無い。

 くすんだ濃い桃色の襟のセーラー服は、間違いなくこの学校の女子制服である。動く度、見せつけるようにひらひらと動くスカートの裾が憎らしい。分かっていて態とやっているとしか思えない。

 これがその辺に居る普通の女の子だったら可愛らしいものだが、彼女の場合うっかり手を出したものなら何をされるか分かったものではない。

『私学校が見たいわ、せんせい』

 そら来た。どうせそんなことだろうと思っていたから驚きはしない。嫌味たらしく『せんせい』なんて言われたって動じない。断じて動じない。

「エ、エマさんの年なら大学じゃないの」

 …正直多少動転した。普段言われ慣れている言葉なのに、何故この少女に言われると妙にいけない方向に聞こえてしまうのか。何とか言い返して逃げようとしたところ腕を掴まれた。エマの手は思っていたよりも小さい。

『連れて行ってくれないんですか』

 声を大にして言いたい、嫌がらせならもう充分であると。

「だから駄目だって。生徒はともかく、他の先生に見つかったらすぐ部外者だって分かっちゃうでしょ」

『酷い人。私と生徒、どっちが大事なの?』

「生徒。分かったら離して、昼休み終わっちゃうから」

 ごねられるかと冷や冷やしたが、そう言うと意外とあっさり解放された。

 アーモンド色の丸い目が此方をじっと見つめる。こういう瞬間になる度に、黙っていれば好みなのにとつくづく残念に思う。

『放課後までここで待ってて良いですか』

「それは別に構わないけど…他の人に見つからないようにしてね」

『解りました』

 

 本当に何をしに来たんだろう。そんなことを考える間もなく午後は嵐のように過ぎていき、やっとCRに顔を出せるようになったのは19時を周った頃だった。

 夏とはいえこの時間になると多少冷える。エマも流石にもう居なくなっているだろうと思っていたが、戻ってみるとまだ居た。というより寝ていた。ソファに預けた華奢な肩が冷えきっている。

「エマさん、起きて」

『んんー…』

 何人もの死体を物のように切り分けることが出来る冷酷な人間とは思えない程に無防備だ。もし自分以外の人間が此処に入ってきたらどうするつもりだったのか。

 起き上がったエマの目はまだ虚ろなままで、時間を聞いてくる声も舌足らずだった。無理矢理腕を引っ張って起こそうとしたら勢いを付けすぎて思いっきり抱き寄せてしまったが、エマは抵抗せず体を預けたままぐったりしている。本当に寝起きが弱いらしい。普段の彼女ならナイフの一本や二本軽く飛んできそうなレベルである。

「本当に今日はどうしたんだよ…」

 思わず独りごちる。支えていないと倒れてしまいそうだったので、仕方なく彼女を抱きかかえる形でソファに座った。

『ちょっとね…いろいろ…ありまして』

 顔を覗きこむと目はぱっちり開いていた。やっと意識が覚醒してきたといったところか。

『家が…爆発したんですけど…それで…逃げたりこわしたりして…来まして…』

 冒頭から耳を疑うフレーズが飛び込んできたが突っ込まない。なにせ裏稼業の人間だ、そんなこともあるのだろう。

『で…たまたま学校の近くに来たので…入りました』

「それ何時の話?」

『昨日の深夜です…』

 そして矢張り不法侵入だったか。監視カメラや警備保障システムは何をやっていたのか。

 ようやっと体が動くようになったエマが自分から離れて立ち上がった。月に反射する顔は普段より血の気が薄い。要するに疲れていたらしい。

『この辺にホテルってありましたっけ』

 聞きながらエマは自身の端末を弄って検索し始めた。記憶している限りだと、ここからホテル街までは一駅歩く距離だ。彼女もその情報に行き着いたのか苦々しく舌打ちをした。

『う、意外と歩きますね…まあ仕方ないか…。お世話になりました』

 その言葉を聞きながら、自分のマンションのペット可否について記憶を辿っていた。確か犬猫くらいはOKで蛇等の爬虫類がNGだったような気がする。

 ので、

「疲れてるんでしょ。とりあえずうちに来たら?ここからすぐだから」

 引き止めてみた。

 念の為断っておくが他意は無い。普段世話になっている身として一日位は良いかな、というだけの話だ。だがエマの方はそうは受け取らなかったらしく、踵を返しかけた体勢で綺麗に固まった。

『急に何を…』

「変な意味じゃないって。エマさんにはそうホイホイ死なれちゃ困るからってだけ」

『それって“べ、別にアンタの為じゃないんだからねっ”というやつですか』

「うるさい」

 軽口を叩ける程度にはきちんと目が覚めてきたらしい。

 エマはここからアパートまでの距離や周辺の環境を聞いて暫く考え込んでいたが、結局付いて来た。

 繰り返すが他意は無い。自分の歩幅に微妙に追いつけず、早歩きになっている様がちょっと可愛いとか思ってない。

「そういえば…学校に入って来た理由は分かったけど、セーラー服まで着る必要があったの?」

『こっちの方が可愛いでしょう』

「………。」

『そんな顔しないでくださいよ。万が一あなた以外の人に見られた時、この恰好の方が都合が良いと思っただけです』

 成程。一応他人に見つかった場合のことは考えてはいたようである。

 でもミルクティーブラウンの髪の女子高生なんて逆に目立つよ、と言うと軽く笑って流された。単に着たかっただけだったのかもしれないし、だとしたらそれはそれで歳相応で面白いと思った。