(はさみのおにいちゃんが遊びに来たよ篇)
「やあやあ未来のカリスマ美容師君。ここらでカットモデルを一人持ってみないかい?」
久しぶりにメールを寄越したと思ったらこれだ。何とも巫山戯た教職志望が居たものである。
美容師の専門学校に通い始めて早三ヶ月が経とうとしていた。足裏の肉刺も、擦り切らせて駄目にするスニーカーも増える一方だ。立ち仕事がこんなに辛いとは思っていなかった。
ともあれメールを見返す。文面はともかくカットモデルは魅力的だ。すぐさま返信すると、どうやら切って欲しいのは友人自身ではなく女の子のようだ。「親戚」と書いてあるがどうせまた彼女か何かだろう。コンビニで安い酒を何本か調達してから自転車を走らせた。
「いらっしゃい!」
如何にも人の良さそうな笑みと共に友人・三村雄大がドアを開けて出迎えた。直後、香水か何かの甘い匂いが微かに香る。彼女と同棲でもしているんだろうか。世間話をしつつ部屋に上がったが、肝心の女の子らしき姿は見当たらない。
「それで、カットモデルって?」
「うん、それなんだけど…ってあれ、居ない。アイツいつの間に」
ちょっと連れてくると言い残して雄大は廊下の奥に消えた。暫くは静かなものだったが、その内ドタンバタンと走り回る音と「ひっかくな」だの「いてっ」という叫び声が聞こえてきた。少し静かになり、一人分の足音が此方に近づいて来た。
「(…女の子って…まさかペットじゃないだろうな)」
人間であるとは聞いていない。
トリマーと美容師は全くの別物だ。そもそも学校すら違う。そんなことは説明せずとも判るだろうと思っていたが、それはその道の学生であるからこそ知っている知識かもしれない。
何となく嫌な予感がしてきた。
「愛也ここ開けてー。両手塞がっちゃって」
「…ああ、うん」
ドアの向こうから雄大の声がする。両手が塞がっているということは抱きかかえているんだろう。
恐る恐る開けてみると、
「いやーごめん。急に暴れちゃって」
脇の下からむんずと抱き上げられた子供が居た。切り揃えられた前髪が目に入りそうな程に伸びている。
とりあえず人間であったことに安心しなくてはならないが、それにしても凄まじい仏頂面だ。明らかに自分を歓迎している顔ではない。
まさか人見知りだと思わなかったよーと雄大が困った声を出すが、人見知りというレベルではない。
『離してください』
此方に敵対心を込めた視線を外さないまま子供が初めて言葉を発した。細腕で雄大の腕をぐいぐいと押し返しているが全く効果は無い。押すだけでは無駄だと悟ったかぺちんぺちんと叩き始めた。が、やはり効果は無い。
「その子が親戚?」
「親戚…うんそう親戚。エマさんっていうの」
可愛いでしょ。と言われましても。
確かに顔の造りは可愛いと言われれば可愛いかもしれないが、自分に向けてくる視線が物理的に刺さりそうである。彼女の顔を此方に向ける格好で抱いている雄大からは見えていないのだろう。
『もう…分かりました、分かりましたよ。逃げませんからとりあえず降ろしてください』
ようやく諦めたのか、少し表情を和らげてエマが解放を要求した。本当?逃げちゃ駄目だからね、と雄大が床に降ろす。ぺたんと小さい音がして解放されたのも束の間、あっという間にエマは彼の背後に隠れた。
「あっ、こら!」
『別に逃げてはいないじゃないですか。大体、私もう15ですよ。髪くらい自分で切れます』
「じゅ、15ぉ?」
耳を疑った。どう見ても小学生にしか見えない。最近の子供は発達が早いと思っていたが例外も居るらしい。
思わず上げてしまった頓狂な声に反応し、雄大とエマが同時に此方を見た。親戚…親戚か。言われてみれば似ているような気がしないでもないが、言われないと解らない。本当に親戚なんだろうか。
「…どうするの?嫌がってるみたいだし、無理に俺が切らなくても」
「いや、頼む。こいつ絶対切った方が可愛いし」
『いや、やめてください。私髪伸ばしてるのに』
同時に言われても何を言っているかさっぱりだ。自分をそっちのけで言い争いが始まったのでとりあえず座り直してサイダーを開ける。嗚呼美味い。
やがて言い争いでは決着が付けられなくなったのか3回勝負!と絶叫しつつじゃんけんが始まった。エマの方はまだ良いとして、雄大の方は大人気無さ過ぎる。大学生にもなって何やってるんだこいつ。
決着が付いたらしい。ガッツポーズをしながら片手でエマを抱え始める雄大とべちべちと背中を叩くエマ。エマが負けたらしい。
こうして記念すべきカットモデル一号が決定した。
「とりあえずシャンプーから入るけど、熱かったりしたら言ってね」
『…。』
洗面所一面に新聞紙を敷き詰めて始めることにした。エマは未だ納得がいっていない表情のままだったが、始めのような仏頂面ではなくなっている。何時の時代でも子供世界のじゃんけんの正義は重い(どこぞのでかい子供のことはこの際置いておくことにして)。
髪の量が多いから気が付かなかったが、エマは頭が小さかった。濡れた髪を持ち上げると、濡らす前と比べて随分ちんまりとしてしまったので思わず笑ってしまった。ポメラニアンが頭に浮かんだからだ。エマが再びむっとし始めたので話題を変えることにした。
「ところで、どうして髪を伸ばしてたの?」
『…だってあの人が』
髪ノ長イ女ノ子ッテイイヨネー。
成程、如何にも彼が言いそうなセリフである。律儀にそれを実行しようとしていた辺り可愛いものだ。それにしても、こんな子供にまでそういう気を持たせるとは本当に忌々しい男である。
通報してやりたい気持ちを抑えつつカットに入る。雄大の希望はボブカットだった。髪の量が多いエマには似合いそうだ。そういう所における雄大のセンスは中々悪くない。
「目瞑ってもらって良い?」
兎にも角にも目にかかった前髪が気になって仕方が無かった。しゃきんと小気味の良い音がして一房の髪束が新聞紙に落ち、向こう側に薄く目を閉じた瞼が見えた。睫毛が長い。
『だって、狡いわ。そんなこと目の前で聞かされたらやってくれって言われたような物じゃないですか。なのにいきなり切れだなんて。勝手よ』
15歳にして何とも女の台詞である。笑ってしまって手元が狂いそうになった。恐らくその時のあいつにそんな考えは全く無かっただろう。どうせ何の気無しにふわーっと言っただけだ。絶対にそうだ。
思い出したらまたむかむかと来たのか、結局エマは全て切り終わるまでそうして目を閉じて黙っていた。
「エマちゃん、もう目開けて良いよ」
ブローをして、三面鏡を用意して、声を掛けた。目を開けた瞬間それまでのふくれっ面がみるみる内に明るくなっていったのが分かった。
「確かにこっちの方が可愛いね」
学校で使っている三面鏡をわざわざ担いで持ってきた甲斐があった。
元々内巻き気味だったのも幸いして、ふわりとボリュームのあるボブにすることが出来た。初めてのカットモデルにしては大成功だと胸の内で自画自賛する。
『み、三村さんに見せて来て良いですか』
すっかりご機嫌だ。体に付いていた髪を一通り取ってあげてから送り出した。
「おー!」
散らばった髪を片付けていると向こうの方で雄大の歓声が上がった。どうやらお望み通りになったようだ。
戻ってみると、雄大が可愛い可愛いと連呼ながらエマを撫で回していた。エマはされるがままだが嫌そうではない。たまに痛そうだけど。
「マジありがとう愛也!お人形さんみたい。めっちゃ可愛い」
「どういたしまして」
ご機嫌なまま出かけて行ったエマを見送ってから二人で軽く酒盛りをした。
「それにしても、なんでエマさんはあんなに髪を切りたがらなかったんだろうなあ」
チューハイを煽りながら彼がしきりにそうぼやくので、軽く一発蹴りを入れておいた。