宵風

(IDOLM@STER KILLER GIRLS篇)

 

『プロデューサー、まだ残っていたんですか』

 その言葉で浮遊していた意識が一気に現実へと引き戻された。

 当然進んでいないサイトの構成案、散らかった書類、意味も無く回る空調のファン。…それと、担当アイドルの心配そうな顔。

「ごめん…ちょっと寝てた…」

 後にアイドル全盛期と呼ばれるであろうと今から持て囃されている昨今の芸能界は、時間に対してまるで容赦が無い。息をつく間もなく新たな顔・顔・顔のオンパレードで、彼女達が闊歩する裏で動く人間は猫の手を使ってもまだ足りない程である。

 心配と呆れが綯交ぜになったような表情で書類の整理を始めたのは、プロダクションの中でもそこそこ経歴のある中堅アイドルだ。深夜をとっくに回った時間にも関わらず彼女が事務所に戻って来たのは、恐らく忘れ物の類だろう。彼女は日頃からよくそういう事があった。

『もう、こんなに遅くまで残って…あなた一人の体じゃないんですからね』

 トンと小気味の良い音を立てて書類を揃え、彼女が机の脇にそれ置いた。

「いつもごめんねエマさん」

『判っているなら程々にしてください』

 つんと唇を尖らせた彼女は芸名をエマと云い、どことなく醸し出す神秘的な雰囲気が売りのアイドルだ。英語の発音の良さを活かしてアンビエントハウスの楽曲を中心に歌わせている。「好きな人は根強く好き」といった系統と言えるだろう。

 最近、そんな彼女をモデル業界に飛び込ませてみようと試みている。エマ自信も快く賛成し、雑誌との契約も取れて既に詰めの段階に入っている。

「もっと沢山の人にエマさんを好きになって貰いたいからね。それが叶うなら多少の無理はするよ」

『でも…』

「良いの良いの、俺がそうしたいんだから」

『………。』

 凝り切った腕を回すとぽきんと厭な音がした。

 エマは何か言いたげだったが、『せめてコーヒー位は飲んでください』と言いながら給湯室に消えた。

 はい、と手渡されたマグには角砂糖が二つにミルク無し。

「あれ、俺エマさんにコーヒーの飲み方教えたっけ」

『いいえ』

 だってずっと見てましたから。静かに告げて、伏し目がちだった視線が真っ直ぐに此方を見つめる。

 成長したなあ、とつくづく思う。スカウトしたばかりの頃は良くも悪くも物静かで、率先して自分の事を伝えるタイプではなかった。

『確かにモデルの話は楽しみですし、やるからには絶対成功させます。…でも、あなたが壊れるようじゃ駄目なんです』

「別に気にしなくて良いんだって。俺はそういうのも含めて仕事なんだし」

『仕事だからってそんな…』

 心配性であることも最近分かって来た。自分がちょっとでも体調を崩せばあれこれと世話を焼く。これではどちらが年上なのか分かったものではない。

 これ以上言い合ってもどうせ彼女は譲らない。ぽんぽんを頭を撫でて礼を言うとむすっとしつつも口を噤んだ。一人っ子の彼女は自分を兄のように慕っているのだと上司に聞かされたことがある。それ以降、時たまこうやって宥める術として利用させて頂いている。

「エマさんがそこまで言うなら仕方ない、もう少しだけきりが良い所までやったら帰るとするよ。時間遅いから送っていくね」

『…仕方ないですね、少しだけ待っててあげます』

 撫でられた場所を大事そうに触りながら、エマははにかんだ素の笑顔を見せてくれた。