(人体の70%は水)
男が液体になって帰ってきた。
男はかつての顧客であり、現在のパートナーであり、何だかんだでそこそこの期間寝食を共にしている。自身の基本的な交友関係の界隈からは考えられないことに、何と教鞭を執っている。
猫を抱えたまま出迎えたのが拙かったようだった。
「あー!」
普段はセーブして喋っていたのが分かる音量で声を上げると男は徐に猫に手を伸ばす。人間なんかよりもずっと敏い生き物はするんと長い毛を靡かせて部屋の奥に逃げていった。男はもう一度悔しそうに「あー!」と言う。
煩いのでひとまず室内に入れる。元々体積が多い上に今日は液体なので扱いに非常に難儀する。動くし。一体何を何杯飲んだらこうなるのか、知りたいような知りたくないような。
「えまさぁん」と間延びした自分を呼ぶ声が伸び切った背中に響く。『はいはい』と適当に相槌を打って力を込めた。自分より重い相手を背負う技法は、介護職の知人と、それ以外との知人同士で実は同じやり方だったりする。
何とかベッドまで運んで転がすと自ら大の字になり始めた。長い。邪魔だ。
『水取ってきますね』
「いらない!」
『あなたが要らなくても私が要るんですよ』
先程逃げた猫の所在と、開いたままの玄関の鍵が気になった。猫の名を呼びながらベッドから離れようとすると腕を掴まれた。長い。その位置から届くのか。
「ねこもいらなーい」
軽い調子だったが相変わらず力は強い。どうしようかと思案しているとやっぱり引っ張られた。悲しいかなこのパターンに慣れつつある。
『はい先生』
「ふふ、なーに」
『水も猫も私が欲しいんですけど。あと玄関の鍵閉めてませんよ』
「おれがいるでしょ」
『ええ…』
「つよいしー、かわいいしー、水はー…ちょっとくらい大丈夫!」
肉布団が機嫌良く声を出す。ちょっと面白かったので言い返さずにスマホを取り出した。
『聞こえなかったんでもう一回言ってもらえませんか?』
「だからあ、」
三村は両手で顔を覆った。出来ればこのまま一生顔を上げたくない。
スマホの動画は完全に音が割れている。これ、きっと隣人にも聞こえてた声量だ。ベッドは壁際だ。
ガンガンに鳴り続ける頭では上手い言い返しを考える余裕も無く、結局黙って顔を覆ったままずるずるとテーブルに突っ伏した。
『だから言ったのに』
エマは笑いながら水と薬を置いた。