育てないで

(エマさんが喧嘩を売るよ篇)

 

『三村さんってカニグモですよね』

「………。」

 恋人から突然蜘蛛扱いを受けた時の心情は各自察して欲しい。

 特にこれといって変わり映えしない週末の昼下がり。昔流行ったドラマの再放送をBGMにタブレットを弄っていたら、ティーセットを持ってきたエマがぼそりとそう呟いた。続いて何か言うかと思って待っていたが、エマはソファの定位置に座ってラップトップを開き始めた。あとは自分で調べろということか。

 タブレットのブラウザを開いて“カニグモ”で検索する。軽く調べてみた所、カニグモというのは一個種の名称ではなく、およそ二千種を超える種族の科名を指すらしい。

 “クモ”ではなく“カニグモ”に限定して言っている以上何か特徴でもあるのだろう。時間潰しには丁度良い。

「ヒント頂戴」

『平安貴族』

 いきなり人間になった。駄目元で“平安 貴族 カニグモ”で検索を掛ける。ヒットすることにはするが、クモの特徴が書かれているページは見当たらない。それでも数分は粘ったが何も見つけられなかった。

 お手上げだ。おいで、と彼女を呼び寄せて膝の上に乗せる。

「降参。答え教えてよ」

『それじゃ謎かけにならないじゃないですか…』

 柔髪を撫でようとしたらふいと顔を逸らされた。ついでとばかりに逃げようとしたので腰を掴みがっちりと固定する。力で押さえつけると意外と勝てることに最近気が付いた。とはいえ、こんなことをすれば確実に機嫌を損なうのだが。

『何なんですかもう』

 エマはそう言うとムスッとしながらべちべちと腕を叩き始めた。その様子を見て猫パンチ、と言うと舌打ちして叩くのをやめる。いい気味だ。何なんだと言いたいのはこっちである。

『じゃあ良いです。春休みの宿題にします』

「…教師に向かって宿題を出すとはいい度胸だね」

『学生の頃ずっと不満だったんですよね、生徒ばかり課題を出されるのは何故なのかしらって。なので、あなたで憂さ晴らしをします』

 ニヤリ、と人の悪い笑みを浮かべてするりと腕の拘束から離れた。

 

 

 ひょんなことから答えを知ることになった。

 生物の先生に何気なく話を振ってみたところ英語の論文を手渡されたのだ。

 半分位まで読んだ所で生物教師のにやついていた顔の意味を察し、職場で振る話題で無かったことを激しく後悔しながら帰路に就いた。

 勢い良くドアを開ける。スープを作っていたらしいエマがきょとんとした顔で此方を見つめる。

 

”クモのオスはメスより体が小さく、交尾の際にメスに喰われる事がある

そんな中カニグモの一種は、メスがまだ幼いうちに拉致・監禁し、

メスが脱皮してギリギリ生殖可能になった瞬間に交尾するという方法で身を守る種族が存在する”

 

「エマさんちょっと来て」

『はい…?えっと、おかえりなさい。今これ途中なんですけど…』

「良いから」

 ぎゃーぎゃー騒ぐエマの手を引いて寝室に入り、そのまま無造作にベッドに投げ飛ばす。服に皺が、とぶちぶち文句を言うエマの横に腰掛けた。

「俺は別に、そういう意図で手を出さないんじゃないんだからね?」

 ぶつくさ文句を垂れていたエマはその一言で意味が判ったらしく大人しくなった。

「エマさんの彼氏である前に俺は教師だし、教師であるからには未成年にはまともに成長して欲しい訳」

『…それが私のような人間であっても?』

「当たり前だろ、ばか」

 エマは何か言いたげに口を開いたが、やがて静かに『ごめんなさい』とだけ言った。彼女を抱き起こして「こっちこそ、投げたりしてごめんね」と言うと腕を回して答えてきた。甘いダージリンの香りが広がる。

 正直、今だって本音を言えばこのままシーツに雪崩れ込みたい。でも駄目だ。それが自分のエゴだということも、エマがそれを望んでいないことも解り切っている。それでも駄目なのだ。

 せめて自分と居る時位はまともに過ごして欲しい。これまで叶わなかったであろう、普通の、歳相応の扱いを受けて欲しい。恐らく口に出さないと伝わらないであろうそれが何とかして伝わるようにと、暫くそうやって体温を共有していた。

『スープのお鍋、焦げちゃいます』

 ふいにエマが立ち上がって自分の腕から離れていった。

「光源氏か……」

 幼少の頃から将来の妾を育てていた、平安貴族。

 クモの件はともかく、光源氏に関してはあまり否定出来ないかもしれない、とその背中を見つめて思った。