(オカルト問答篇)
『誰も居ない心霊スポットに幽霊は居ると思いますか』
この人はいつだって唐突だ、とひめこは思う。
撮影が終わって一息ついた。スタッフは撤収のために散り散りになり、二人きりになったところで始まったのがこれだ。
それも学校のクラスメイトが振ってくる話題ならまだ分かる。返事は何でも良い、とにかく軽く流せる。数秒後には明日までの宿題に話題が移るほどに呆気無く、他愛無く。
問題は、彼女がクラスメートでも先輩でも何でも無い、年上の、仕事上でしか付き合いの無い人間だということだ。
「…何それ。意味わかんない」
結局、当たり障りの無いぶっきらぼうな返答しか出来なかった。
予想していたとでも言いたげな瞼がくっと弧を描く。
『そうつれないお返事をしないでくださいよ。
明日はお化け屋敷の体験ロケがあるでしょう?ですからその前に…ね?』
何の「ね?」なんだそれは。
しかし悲しいかな、ひめこは彼女とのそれなりに長い付き合いの中で既に学習を終えていた。
何でも無い風を装っている時に核心めいたことを言っていたり、逆に勿体振った時に限ってするりと躱される。彼女はそういう性分なのだ。
相沢ひめこはアイドルで、エマもアイドルで、二人はユニットを組んでいる。
ひめこはエマの本名を知らない。芸名であることは間違いなく、それは本人も認めている。
エマに関するデータベースは長いことそこで更新が止まったままだった。
別に珍しいことではない。整形か血の滲むような努力か…デビュー前の経歴や顔を隠したいという芸能人は少なくない。程度の差はあれど自分も似たような所はある。
だが、全てを隠してやっていけるほどこの世界は甘くない。
学生でも成人でも無い19歳という年齢と、紅茶の香りだけが彼女に関する情報の全てだ。謎そのものを売りにしている…とは社長の言葉だが、要は神秘だ何だとかこつけてまで隠さなければならない情報しか無いということだ、彼女の過去は。
まずそこが気に食わない。
たとえそれが気に食わない相手だったとしても、ユニットともなれば信頼関係は必要不可欠だ。
熱血漢を気取るつもりは無いが、ひめこは仕事で妥協する気は全く無い。常に持てる全力で体当たり。でないとファンは付いて来ない。
脂ぎった親父達が考えた言葉をそのまま歌ったら、その薄っぺらさは観る者に確実に伝わる。歌は嘘を付かない。そう思っている。
そういう場において、コンビである自分にまで肚の内を隠すそのスタンスがとにかく気に入らなかった。
「明日のロケと、その訳分かんない質問に何の関係があるわけ?」
『そうですね…一言で言うならば、オカルトについての考えを聞きたいってところでしょうか』
「じゃあ最初からそう言えば良いじゃない」
『ふふふ』
…この、自分のことは一切ひけらかさない癖に、相手のことはお見通し、というような態度も気に食わない。
直接内臓を撫でられるような悪寒がして胸糞悪かった。
『お互い、あの手の話題に触れるのは明日が初めてでしょう?最初に聞かれると思うんですよ。
どうします?霊を信じて怖がる夢見がちな女の子か、そんなものは居ないと一蹴する地に足ついた現実的な女の子か。
…最も、ひめこさんの場合はどちらでもマイナスになることは無いでしょうけれど』
やっと、やっと話の本筋がひめこにも理解できた。
要するに幽霊を信じるか信じないか、どうキャラ付けていくのかという話らしい。
――回りくどいんだよ!
怒鳴りつけたかったが、スタッフの手前堪えて隣に座り続けているあたり、自分も少しは成長したものだと思う。生来ひめこは短気で口が悪いのだ。この組み合わせは嫌がらせなのではないかと未だに思う。
澄まし顔でタブレットを弄るエマをひと睨みしてから座り直し、考える。
単純に考えたら誰も居ないのだから居るか居ないかなんて分かるわけない。正誤を確認出来ないのだ。
だが、心霊スポットと言われている事自体、そこで何かを見た人間が既に複数人居ることを表している。これは間違いないだろう。過去に見た人が居るからそう呼ばれる。見た人が誰も居ない場所が心霊スポットと呼ばれることはまず無い。
だったら答えは一つではないのか。
「居るんじゃない?」
はた、とエマの手が止まる。ゆっくりと此方を向いた顔はいつにも増して白く、彼女にしては非常に珍しく真顔だった。
『本当にそれで良いんですか』
「は?」
自分から聞いておいて何を言っているんだこの人は。
『これを見てください』
そう言ってエマは何だかよく解らない細かい装飾がびっしりと彫り込まれた小箱のような物をポーチから取り出した。
『LimBox(リムボックス)と云うそうです。ほら…見て…ここに書いてあるでしょう。これはですね、有り体に言えば只の木箱なんですが、鍵がかかっていて開かないんですよ。触ってみて良いですよ』
なんだか話が逸れてきたなあと思いつつもひめこはその小箱を受け取った。エマが齎す面倒な態度と話題を差し置いても、その箱は実際ちょっと手に取って見たくなる美しさがあったからだ。
木箱、とエマは言っていたが、丁寧に磨き込まれた表面は傍目には金属のようにも見えた。その一瞬の勘違いを補強したのは、それが手のひらに収まる大きさにも関わらず存外ずっしりと重たいところにある。表面だけが木製で、内部に金属が使われているのかもしれない。
鍵が…という言葉通り、ほぼ立方体の箱の中央部分に小さな鍵穴が付いていた。そこから左右に切れ目が入っており、鍵さえあれば丁度婚約指輪のケースのように大きく開くのだろうと思った。
「中には何が入っているの?」
エマは重大な秘密を打ち明けるかのように小さく耳打ちして、『幽霊が入っています』と言った。
『海外では木製住宅の耐久性を調べるために圧縮実験という項目がありまして、これは小さな住宅のレプリカを機械に挟んで上から横からぎゅうぎゅうにして、最後にはぺしゃんこになるまで潰してしまうんです。完全に潰れるまでの時間や、潰れやすかった部位の構造などを解析するんですね。
そうやって最後には取り壊す筈だった人の住まない家の中に、何時からか「人影を見た」と言う作業員が後を立たなくなった』
「家?コレが?」
『ええ家です。ああ、家といっても玩具のような大きさなので、完全に潰すとやっぱりそのくらいの大きさになるんです。
それはそうとして、当時の作業員の中には女性は一人も居なかったのですが、その家の中に居た幽霊は髪の長い女性でした。玩具ような家の中の小さな女性と言えば何だか可愛らしくも聞こえますが…徐々に出来上がっていく家の中で、彼女は窓から外をぼんやりと見つめていたそうです。誰かと目が合うこともないし、何だか敵意も無いようなので、大半は「ああまた居るな」と軽く流していた』
ひめこはもう一度箱の表面を見た。ひめこが彫り模様だと思っていたのは、圧縮された壁の塗料が上手い具合に捻れてできた物だったのだろうか。
小箱を押し付けるようにエマに返す。エマはもうそれは楽しいといった風に受け取った。それをそのまま膝に置き、猫でも撫でるかのような手つきでつるりと撫でた。
『普通よく聞く幽霊譚って、「その家で死んだ住人が…」とか、「前の住人が…」とか、そういう類でしょう?死んだ人が幽霊になるんですから当たり前ですよね。
でも、この家は最初から“そういう目的”で作っていない。人が住んだ事実が一切無い。だからこそ噂は広まったんでしょうね。
そして実験の日が来た』
何だこれは。
ただ幽霊を信じるか否かの喩え話だった筈なのに、何時の間にか怪談になっている。妙な調子の変化球から入ったばかりに余計にゾクゾク来る。
『いざ取り壊そうかと機械に挟み、家がみしみしと鳴り始める頃…近くで見守っていた作業員達の中でざわめきが起こった。居たんですね、彼女が。
段々と小さくなる窓枠の中で、はじめはぼうっとしていた無表情が、窓が小さく潰れていくのにつれ険しくなっていって…最後には鬼のようだったそうです』
厭だ。情景が目に浮かんでしまう。
きっと彼女は怒ったのだ。棲家にしていた場所を無理矢理潰されて怒ったのだ。
『機械を操作していた人間からはその光景が丁度見えなかったので、家はそのまま最後まで潰されていきました。その後、専門の機械で潰れた家の圧力やら密度やらを調べたのですが…数値を見て、研究者が妙な結果に首を捻ったそうです。
密度がね、薄いところがあるんですよ。均等に潰していったのだから中は家の部品でぎゅうぎゅうな筈なのに、比重や音波で何度測っても一部分だけ空洞としか思えない結果になる。それであの時の作業員が叫ぶんです。「女だ、女が入っているからだ」』
ひめこはもうこの話を聞きたくないと思っていた。こんな下らない作り話はもうやめにして、スタジオを撤収して、明日の為に休まなくてはならないと思っていた。
なのにどうだろう。もう長いことひめこの目線は箱から動いていなかった。ずっと横目に見ているので目が疲れているくらいだ。
誰も居ない心霊スポットに幽霊は居るか。
ひめこはさっき「居る」と言ってしまった。
『作業員の言葉はとにかく、予想に反する実験結果なのでとにかく一度半分に切って中を見てみようということになりました。レーザーで簡単に分断できる材料だったんですが、これがいざやろうとなるとレーザーの調子が悪くなる。人の力で切れるような物でもないし、MRIを使うような予算は無い。結局、実験は“試験材料に改良の余地あり”の結果だけ残して打ち切ったそうです。
その後建設会社は業績が傾いて他の企業に吸収される形になり、保管庫で眠っていたこれは吸収先の企業の手に渡りました。再実験するためではありませんよ、単に話のタネになると思っての行動だったそうです。
あれほど切れなかったレーダーは今度こそこれを分断したのですが…中を確認した人間は、何を思ったか、別れた2つの部品に蝶番を付けて箱にして、鍵をかけてしまいました。私がどうやってこれを借りることになったのかは秘密ですよ?』
言い切って、エマは椅子の下に置いていた鞄をごそごそと探りだした。小さい声で『ふふ、あったわ』と呟いてハンカチを取り出し、畳まれたそれをそっと開いていく。
中には小さな鍵があった。
『誰も居ない心霊スポットに幽霊は居ると思いますか』
鍵穴に差し込んだ手を止めて、エマは再び尋ねた。
ひめこは少し考えて「居て欲しくない」とだけ言った。
エマは暫く固まって笑い出した。
そしてあっさりと鍵を開け、中に入っていた飴を取り出した。
先ほどまでの張り詰めたような空気は既に霧散している。そこにはただ一つの飴とそのケースがあるだけだった。
『ひめこさんは意外に怖がりなんですね』
明日のおばけ屋敷は本当に怖いみたいですから、強がらないで本当のこと言った方が良いと思いますよ――と、エマは飴を自分の口に放り込んで席を立った。
この人はやっぱり嫌いだ、とひめこは強く思った。