11〜20

11.希望

「ああ…死にたい…」

 男は街を彷徨っていた。

 襤褸を纏い、何の為なのか鉄の棒を片手に持ち、伸びきった髪の隙間から濁った目で辺りをぼんやりと見ている。

 屋台で酒を煽っていたサラリーマンがそんな男に声をかけた。

「よう。あんた、そんなこと言うなって」

 サラリーマンは酒が入って調子が良くなっていたのかもしれなかった。

 軽々しく肩を抱かれた男はう、うう、と何か言いたげに声を上げたが、サラリーマンはその上に被せるように続けた。

「俺もこの年までのらりくらりと生き永らえているがな、大体は良いことなんかありゃしないんだ。それでもたまーに、本当にたまーにだけどな、良いことがあるもんよ。人生ってのはそういうもんなんだよ」

「う、ううっる、さい」

 男は持っていた棒でサラリーマンの頭の上半分を吹き飛ばした。サラリーマンの口元は笑ったままだった。

「…死にたい…」

 男は返り血を浴びることなくその場を離れ、再び夜の街を歩き出した。

 その夜、男は自分のつぶやきに反応して温かい声をかけてきた人々を同じ調子で10人殺した。

 10人目を殺した辺りで男は生きるのが楽しくなってきて、「生きたい、生きたい」と明るく笑いながら街を駆け巡った。

 

「…死にたい…」

 少女は街をふらふらと歩いていた。

「お嬢さん、そんなこと言うなって。俺なんかな、ホームレスだけど生きてると楽しいこともあるもんだ」

「うるさい何も知らない癖に」

 男は少女が持っていたサバイバルナイフで喉を一突きにされて死んだ。即死だった。

 

 

12.混同夢(コンドウム)

 海で声をかけられても無視しなくてはいけない。答えなければ怖い事は何も起きない。

 反対に、山で声をかけられた場合は返事をしなくてはならない。返事の仕方は山による。無視すると延々と声をかけられ続け、やがて出られなくなる。

 では家の中の場合は?

 

「おーい」

 学童の時分から大切に使っている文机。

 右手の小指に染みた青いインクをじっと見つめ、私は息を潜める。

「おーい」

 原稿用紙は手汗で歪み、書かれた文字は滲み波打っていた。

 人間の視界は左右120°までと云われている。だが私は違う。眼鏡のレンズに白熱灯の光が反射し、背後に居る影を捉えていたからだ。

 私は考える。家の中の場合は、返事を

 

「おい」

 

 

13.髪

 私は髪に痛覚がある。

 と言うと、大抵の人間は私に対して嘲笑かあるいは哀れみか、とかくそう云ったマイナスベクトルに基づく解釈を勝手にして来る。

 人々は非常に鈍感で、無知で、愚かだ。

 お前達は何も分かっちゃいない。髪は一本一本が神経で、その周囲に申し訳程度のキューティクルが施されているに過ぎない。そんなものがわさりと脳に近い場所に群生しているにも関わらず、平気でそれを切り刻んでみたり薬品に漬けてみたりする。そういうことをしているから鈍いんだよお前達は。

 今日も私は髪を纏め上げ、ネットを被り、その上から目深に帽子を被る。

 無防備に直射日光に晒して喜んでいる奴等は真に馬鹿である。自分の神経によくもまあそんな仕打ちが出来るものだ。

 そう、彼等は愚かである故に自身の愚行に気づかず、愚行を愚行と知ることすら叶わず、いつか自分の髪が神経であることを急に自覚したその時に初めてのたうち回る。馬鹿め、馬鹿め、おお何と言う大馬鹿。

 そうやって今の内に私を笑っておくと良い。いつ笑えなくなるかも判らぬ分際で、何も知らぬ顔で、呑気に間抜けに笑っていれば良い。

 そうしていつか自身の髪が神経であることを自覚した時、私はお前達の髪を遠慮無く引き抜くだろう。

 

 

14.嘘

「世界の話をしよう」

「唐突に詩人だな」

「もしこの世界が全て夢で本当は全員死んでいたとしよう」

「おっ変化球が入ってるぞ」

「全員死んでいるんだけど全員死んでいる途中で、各々が凄く長い走馬灯を見ている。全員死んでいる途中だから半分意識が交じり合ったような状態になっていて、だから他人は幻覚ではなくちゃんと他人としての意識が交錯している」

「半死人の意識が半分集合体になっているってこと?」

「そんなところ」

「面倒なことを考えるなあ」

「それだ」

「どれだよ」

「面倒なことを考える。人間にはこれが出来る。シンプルだったものを一層ややこしくして、それでいて技術の進歩だとか、利便性が向上したとか言ってのける」

「他の動植物だって人間が感知出来ないだけで本当はしているかもしれないじゃないか」

「スピードが違う。化石時代から連綿と同じ水準で生きているような連中だって居るのに、人間はどうだ。もう5年前の携帯電話なんて骨董品扱いだろう」

「うーん確かに」

「これも半集合体だからこそ出来ることだったとしたらどうだろう。三人集まれば何とやらって話で説明が付きそうだと思わないか」

「三人どころじゃない数が”集まっている”から進歩も早いと。スパコンみたいな話だな」

「そう、まさにスパコンの概念だ。インターネットもスパコンも、本当は自分達を機械に投影しているだけなんだよ。最初から完成図は集合体の中にあってそれを引っ張り出すのに苦労しているだけ」

「アカシックレコードとは違うのかい」

「あれはアーカイブ。終わったことと法則に関する情報が記されているだけだよ。図書館はよく使うけどあそこに意識と意思は無い。大体あれは宗教じゃないか」

「宗教の共同幻想についてはどう思う?」

「半分意識を共有しているんだから共通の幻想を視ても何もおかしくはない」

「あっさりだな」

「塩味だね」

「そうだなあ最期には塩の効いたおにぎりが食べたかったよ」

「今食べても味は判らないと思うけど…」

「そうかな。味覚は原始の感覚だから、案外まだ行けるかもしれない。頼んでみようか」

「いいよいいよ、それよりももっと話そう」

「そうだね。話をしよう」

「話をしよう」

「そもそも意識とは…」

「意…識……」

「………」

「……」

「…」

「.」

 

「脈、停まりました」

「判った。…死亡確認、午前2時38分」

「…凄い患者でしたね。ヘルメットを被っていたのに頭蓋が割れて脳が衝突相手と混ざるなんて、そうそう無いケースですよ」

「ああ。此処に運ばれてきた時にはもう正直手遅れだったよね。相手の方はその場で即死が確認されたんだったかな」

「はいそうです。彼とは違う病院に…それにしても、あんな状態になってもずっと喋っているなんて、彼に何が起こっていたんでしょう?」

「言語野がおかしくなって思っていることがそのまま口から出ていたのかもしれないな」

「…あの内容、どう思います?今際の際にしては何と言うか…こう…」

「さあ。彼は哲学者にでもなりたかったんじゃないか?あまり深く考えない方が良いよ。きっと君は今、自分が思っている以上にショック状態に陥っている」

「…そうですね。ジュースでも買ってきます」

「うん、お疲れ様」

 

 

「脈、停まりました」

「…午前2時42分、死亡確認。本当によく喋る患者だったなあ」

 

 

15.神

 ある朝鏡を見ると、額に「神」と浮かび上がっていた。

 

 妻の落書きかと思い問い質したが笑いながら否定された。無駄に達筆なその文字は墨で書いたような繊細さを有していたが、何回洗顔しても落ちなかった。

 結局私は短い前髪で周囲の様子を伺いながら通勤することにした。電車に乗ると、私に気付いた女子高校生達が此方を見てはくすくすと笑った。会社に着くと、やはり気付いた何名かの部下は笑いを堪えていた。

 笑い事ではない。

 しかしそう思っているのは私だけなのだろう。彼らの思考は恐らくこうだ。「部長のやつ今日は寝ぼけて鏡も見ずに出勤したな。奥さんの悪戯に気付かないなんて結構抜けている所もあるじゃないか」しかしこれは妻の仕業ではない。筆で書いたような筆記でありながら洗顔でも落ちない塗料など、彼女が手に入れられる筈が無い。

 休憩の度にトイレで顔を洗ったが、やはり「神」は消えてくれなかった。

 結局帰り道になっても「神」は消えず、私は朝より一層重い気持ちで電車に乗った。

 

 次の日、今度は妻の額に「人」と書かれていた。

 妻は私のようにそのまま我慢して外出するようなことは出来なかったのか、半泣きになりながら何度も洗顔していた。ほら見ろ。私は何となく優越感が湧き上がるのを実感しながら家を出た。

 家を出ると誰もが何処と無く額を気にしながら歩いていた。なんと道行く人の額に全て「人」と書かれていたのだ。人々は恥ずかしそうに、あるいは周囲を見渡して首を捻りながら行き交っていた。

 

 そのうち、人間の額には文字が浮かぶのが常識になっていった。

 大抵は産まれてから暫くすると浮かんだが、珍しい者は産まれた時から既に浮かんでいた。世界中の科学者が調査したが一向に原因が判明せず、いつの間にか「そういうこと」になっていった。

 「神」と書かれていたのは私だけだった。

 これは世界保健機関が正式に調査した結果で、要するに私は世界でただ一人のオリジナルである。何度も精密検査を受けた。遺伝子調査にも協力した。大量に血を抜かれた。それでも何故私が「神」なのかは解らなかった。

 皮膚を切り取っても再生した額はまた「神」を刻んでいた。日本の天皇もアメリカの大統領も宇宙ステーションの職員達もノーベル賞受賞者も「人」で、私だけが「神」だった。

 

 私は神になった。

 世界中から神であるという支援を受けた私は、文字通り最高の医療機関に支えられ、100歳になっても若々しく健康そのものだった。妻とはとっくの昔に別れた。私は神なのだ。望めばもっと良い女はごまんと居る。世界の経済は私の財布になった。国のリーダー達は皆私の可愛い子供達となった。

 体は名を表すのだ。

 私は神だ。何でも手に入る。私は神だ。私は神。何でも手に入る。神。神だ。わはは。神。神神神ーッ。神ーーーーーヒイイーーーー神ーーーーッ。

 私の叫びと共に海が割れた。

 愚かな人類は地の底に沈んだ。

 私は仰々しく天界に召され宇宙を支配し大いなる意思となった。

 

 

 

 

 

………ということにならないかなあとマジックペンで額に「神」と書いてみたが、当然私は神にならず、妻もおらず、部長どころか実は職も無かった。

 

 

16.夢中夢中夢

「6時半に起きるから」

 そう宣言して寝たのは良いが、6時に目が醒めてしまった。

 今から二度寝したら寝起きが悪くなるのは確実だ。でも寝たい。やり場のない怒りを孕みながら、私は再び眠りに就いた。

 

 

「起きなよー!」

 階下で母が呼ぶ声がする。

 目覚ましは鳴っていない。目を擦りながら見た携帯のディスプレイは5時を指していた。

 何なんだ。まだ起きなくて良い時間じゃないか。そう思いつつも体を起こして、それから気付いた。

「あ。これ夢だ」

 最近よく寝起きの夢を見るのだ。それが夢であると何故気付くのかというと、携帯のディスプレイが笏のように長かったり、ベッドが浮いていたりと、必ず視覚的にどこかに綻びがあったから。今日は羽毛布団だと思っていた物がゴマアザラシになっていた。布団のように重いが、圧倒的に冷たい。現実の私は足でも出して寝ているんだろう。その寒さが、こうやって夢に現れている。

「6時半に起きるから」

 出ない声を何とか絞り出して叫び、布団に潜り込む。目を瞑ってもなかなか寝付けない。夢の中で寝ることは出来ないのだろうか。

 夢を見ているのだから体は寝ている筈だ。なのに、夢の中で起こされる夢なんて見たら寝ている気が全くしない。

 冗談じゃない。

 

 

 

「起きなよー!」

 階下で母が呼ぶ声がする。

 目覚ましは鳴っていない。目を擦りながら見た携帯のディスプレイは4時を指していた。

 何かがおかしい。喧しい母の声に無理矢理覚醒した頭をゆっくり横に移動させる。頬にかかる髪をよけて、気付いた。二度寝ならぬ二度夢。鬱陶しい。だが少し面白かった。

 どうせ夢なんだから、この妙な状況をもう少し引き伸ばしてみよう。ベッドから降りた私は部屋から出て階段を降りた。踊り場に母が居て、目が合うと起きなよーと叫ばれた。夢の中の母はこれしか言えないのかもしれない。よく見ると目線も私と合っていない。母は私の部屋を見ていた。

 母を無視してリビングまで移動する。私はこたつに入った。夢の中でも暖かい。こたつの「暖かい」というイメージは私の脳内にはっきりと色濃く残っているようだ。私はそのままこたつの中で寝た。

 

 

 

「起きなよー!」

 階下で母が呼ぶ声がする。

 目覚ましは鳴っていない。目を擦りながら見た携帯のディスプレイは3時を指していた。

 部屋のドアは中央だけが縦に細長い磨りガラスになっていて、そこにぴったり嵌るように母の顔が張り付いていた。シミュラクラ現象のように薄ぼんやりと目と口が判るだけで、あとは何も分からない。

 いい加減にしろ。たった30分の二度寝の中でまで、何で何度も起こされなければならないんだ。今日も学校があるのに。毎日夜遅くまで勉強もしているのに。現実で1回起こされるだけでも厭なのに。だから前の晩に起きる時間を宣言したのに。そして何も言われないように、その時間に確実に起きようと思ったのに。

 

 私は迷わなかった。ベッドから飛び降りて、クローゼットの中からショットガンを出した。私がそう思ったから遡ってショットガンが出現したのか、元からここにはショットガンがあったのか。もうどうでもいい。これは私の夢だ。私の思い通りになって何が悪い。そうだ、私の夢なんだから私が思うような夢に変える。それの何が悪いんだ。

 ドアを蹴破ると母の細長い顔が眼の前にあった。体は無い。どうせ階段の踊り場にあるんだろう。伸びた首の先を目線で追う気も無かった。

 互いの息が掛かりそうな距離で、母はさっきと同じトーン、同じボリュームで言った。

「起きなよー!」

 

 

17.ぼくとたけし

 たけしが死んじゃった。

 生まれた時からずっと一緒だったたけし。

 学校から帰ってきたら毎日散歩に一直線。ぼくが小さい頃はよくたけしに引っ張られてたっけ。

 悲しくて悲しくて、ぼくは朝から外でわんわんないていた。

 そんなぼくを見かねたのかお母さんが「今日は家の中に入っていいわよ」って言ってくれた。

 ありがとうお母さん。ぼく、もうなかないよ。

 

 

18.花壇

 学童に上がって少し経った頃、ようやく自室が持てるようになった。

 それまで物置として使っていた2階を片付けて、机を運び、布団を運び、雑誌を運び、私だけの根城を築き上げた。

 

 そうしてから今までずっと、私の部屋には花壇がある。

 物置時代には殆どここを覗いていなかった。だから、前からこうだったのかは分からない。

 部屋の一角に燦然と佇む白い手の群は、ただただ、開け放った窓からの風で今日もさわりさわりと揺れている。

 

 

19.シキュウレンラクモトム

私 真っ赤な車降りて 黄色の車に乗り

月極駐車場を今出たところ

環状線をぐるぐる回り 赤信号止まり

深夜の道で一人一息ついたところで

後ろから白い七人乗りのバンが迫ってきたの

私達はあの時きっと目が合っていた筈なのに

 

ああ玉突き事故 未必のコイ

あちらは過失 大破はこちら

ああ以前は時効 割れた風船

「24時間以内なら大丈夫だから。」

 

病院12時間後診察 先生は呆れてる 私も呆れたい

ああ、いや「キレたい」だ

これで何度目のお薬 中くらいのお薬

一錠ぱくりごくん 先生さようなら

 

先月の赤い車のメンテナンスノートには

今月も赤く報告書が載ってくる筈 筈 多分

…まだ?

 

ああ待ったって唸ったってあとはもう神のみぞ知る

もう無かったことにしてるあなたとの溝謗る

そうねあなたにとっちゃ接触事故

でもね私の事故は終わってないの

だってメンテナンスノートは白紙のままで いつに なっても

 

シキュウ シキュウ 大至急

サクラチラセ アカガミに染めて

シキュウ シキュウ 大死球

次のタマは打ち返さないと