(君はペット篇)
(年齢逆転)
『風邪引きますよ』
そうだね、と思ったことを脊椎反射的に返す。二人の間には無数の雨粒がひっきりなしに降り続いていて、一言口をきく度に己の体熱が冷えた空気に奪われていくのが判った。
『…明日のテストに出たくないから風邪引きたいとか、そういう理由だったら止めませんけど』
それは、そうでなかったら関わる気があるということを暗に示していた。俺はもうそういう問答すら億劫になっていて、違うよとだけ返して黙り込む。
19歳という年齢は、思ったよりも身動きが取れない所まで来ていたようだった。
「ようだった」というのは実際に体験するまで全く逆の、寧ろ期待120%位の勢いで捉えていたからで、いざ色々と動いてみると何もかもが上手く行かなかったことを表している。夢を叶える為に何もして来なかった訳ではない。寧ろ、自分としては年相応に努力してきたつもりだった。
何のことはない。
要するに世間知らずの子供が叶えたい夢に対する覚悟も能力も耐性も足りなかった事を悟り、人生の卓袱台を引っ繰り返して大胆な不貞寝を決め込んでいるだけの話だった。
『ふうん』
項垂れた俺を覗き込むような気配がして顔を上げる。目線を合わせるようにしゃがみ込んだ通行人はちょっとその辺には居ないような容姿をしていて、暫し今の状況を忘れて見惚れた。
『ふふ、あなた昔飼ってた犬にそっくり』
あの子も捨て犬でしたねえと通行人は遠い眼をして微笑んだ。
…似てるって、俺がか。
犬に。俺が。
前髪が濡れて暈けた視界と思考のせいで、割と失礼なことを言われたと理解するのに時間がかかった。最も、その考えに行き当たった所で俺にはもう突っ込む気力は残っていなかった訳だけど。
『あなた、私のペットになりません?』
前述の通り俺は疲れ果てていて、引き続きこんな突拍子も無い提案を突っぱねる元気は無かった。もういいよ。どうでも。
あっさり承諾した俺を少し意外に思ったのか、彼女は丸い目を少し見開いて嬉しそうに『よろしくね、モモ』と言った。
よりによって雌かよ、犬。
やっぱり何も突っ込めなかったのは、嬉しそうに笑った彼女がいやに寂しい目をしている気がして仕方が無かったからだった。