萌木の芽は青い色をしているか

(成長期篇)

 

『痛い』

 彼女は何度もそう呟いて目尻を滲ませた。震えながら膝を抱いてベッドに蹲り、立ち上がる事すら儘ならない。だが本当に泣きたいのは、彼女ではなく軋む身体そのものだろう。

 高校生になったエマはとてつもないスピードの成長期に襲われていた。本来であれば中学生の時から穏やかに進む筈だった成長が一気に始まったのだ。

 成長が止まっていたのは彼女を取り巻いていた冷たい家庭環境が原因だろう。幾ら申し分無い栄養が摂れていたとしても、相応の愛情が得られないと子供は成長が止まってしまう。専攻分野がまさかこんな処で役に立つとは。三村は複雑な表情を浮かべた。

「何か飲む?」

 彼女の話を全面的に信用すると、どうやら小学生高学年の頃から殆ど身長が伸びていなかったらしい。道理で実年齢より幼く見えた訳だ。

『ホットミルクください…』

 中学を卒業したら行く宛がある。当初はそう言っていたエマだったが、直後に始まった全身の痛みにそれどころでは無くなってしまった。まず関節が痛い。曲げたらもっと痛む。特に膝の痛みは尋常ではなかった。次に胸が痛い。少し歩いただけで振動が伝わるし、触るなんて以ての外だった。

 それでも最初の内は三村にも打ち明けず騙し騙し動いていたが、やがて初潮が来ると痛みは一気に加速した。

 ある日、珍しく昼過ぎまで起きてこなかったエマを不審に思った三村は、それまでの経緯を聞いてまず初潮が遅過ぎる事に驚愕した。現状持ち合わせている知識を総動員して生理痛は何とか抑えられたが、それでも成長痛はどうしようもなかった。

『…三村さん……』

 結果、エマは日の照る時間帯になるとこうして泣いて過ごすようになってしまった。

 病気でもないのだから病院に連れて行く訳にも行かない。学生の身分では付きっきりで面倒を見る事も叶わず、最近の三村は授業を受けに出掛ける度に後ろ髪を引かれる思いだ。エマの高校が通信制であったことが不幸中の幸いだった。

 今日は一限だけ授業を受けて脇目も振らず帰ってきた。大学の友人達の誘いを断る言い訳もそろそろ限界があるが、我慢強いエマがこうまで弱っている様を見せつけられては放っておけなかった。

 ほんの少し蜂蜜を入れたミルクを鍋で温めながら、三村は自身の成長期の事を思い出していた。確かに膝を始め全身の関節が痛かった記憶はあるが、当然泣く程ではない。それだけで如何に彼女の成長期が異常であるかが窺い知れる。

『蜂蜜入れましたか』

 鼻を啜る音がしたと思ったら、ダイニングの壁に凭れながらエマが歩いてきた。

「入れたけど…大丈夫?寝てて良かったのに」

『多分今日の分は収まりましたから』

 言われて外を見ると、いつの間にか夕日が射すようになっていた。日中の時間帯を過ぎれば歩ける程度には痛みが収まる。

 エマは三村の隣まで歩を進めて鍋を覗きこんできた。蜂蜜の匂いを感じ取ってその表情が和らぐ。

「もうちょっとだからね」

 撫でる頭の位置は確かに高くなってきていた。まな板だった胸もあっという間にぷくりと膨らんできて、最近の三村はあまりそこを見ないようにしている。恐らくどちらもまだまだ伸びしろがあるだろう。

 温めたミルクをマグに移して手渡すと、エマは椅子に座って大人しく飲み始めた。日中は痛みに耐え、夕方にミルクを飲み、涙で濡れた顔を洗ってから夜に勉強をする。それが彼女の日課になりつつあった。

『すみません。迷惑かけて』

 両手で持ったマグで顔を隠しながらエマは呟いた。余ったミルクを自分のマグに入れて、三村はエマの隣に座る。

「気にしてないよ」

 本心だった。というのも、実を言うと少し嬉しくもあったからだ。

 すっかり情が移ってしまった彼女に対して注いでいた愛情は、少なくとも成長期が始まる程度は伝わっていたと証明されたからだ。苦しむエマの前では口が裂けても言えないが。

 早く終わると良いね、という声に素直に頷いたエマを横目に、三村は甘ったるいミルクを流し込んだ。